十番切
ツレ(女) 二宮 シテ 曽我十郎 ツレ 曽我五郎 ツレ 新開荒次郎 ツレ 新田四郎 地は 駿河 季は 五月 サシ女「是は二の宮と申す女にて候。さても曽我兄弟の人々は。親の敵討たんとて。幼少竹馬の昔より。野に臥し山に臥し。心を尽し給ひしかども。終に願ひも空しく過ぎさせ給ふ。今日御狩場の御供に紛れ。ねらひ給ふ御心の内。押しはかり参らせて。わらはも遁れぬ中なれば。御宮仕の隙を窺ひ。人々を導びき申さんとて。忍びて是まで参りて候。 地「何くにかおはすらんと。かなたこなたと尋ね行く。心の内ぞ痛はしき。 二人カヽル「兄弟はかくとも知らで。仮屋の前にたゝずめば。 女「さればこそこなたへと。さて国々の武士の。幕の内を委しく教へ参らせ。あれこそは人々の。尋ぬる人の幕ぞとて。懇に教へ申し。命めでたく候はゞ。又こそ御目に懸らんと。 地「涙と共に立ち別れ。〳〵。稲葉の山の峰に生ふる。松とし聞かば今一度。帰り来んと約束し。又御前へぞ出でにける。〳〵。 十郎詞「かくて兄弟の人々は。二の宮の教により。祐経が仮屋に忍び入り。 地「年月の妄執。今宵こそ晴し給へ時致とて。思ふ敵を討つたりけり。 五郎詞「其時々致立ち帰り。如何にや祐経たしかに聞け。箱根山にて我に得させし此太刀。只今返すぞ受け取れとて。心もとに差し当て。踊り上つて打ちければ。果報いみじき祐経も。二つになりてぞ失せにける。 地「宿直の人々あわて騒ぎ。〳〵。すはや夜討は曽我兄弟ぞ。起き合へやつといふ声に。弓よ長刀太刀よ刀と。前後を失ひ。上を下へと返しける。 地「されども御前の人々は。〳〵。我も〳〵と切つて出で。面も振らず懸りければ。本よりも兄弟は。命も惜しまず切つて出で。兄弟が手に掛けて。やにはに三騎討ちけるを。すかさず追つ詰め懸りければ。今は命限りの切死と。仁王立に立ち並べば。御前の武士は合ひかねて。其間遥に引いたりけり。 新開「かゝりける処に。新開と名乗つて。 地「祐成に討つてかゝりければ。得たりやあふとさん〴〵に。畳みかけられ叶はじと思ひけん。小柴垣を押し破つて。後這しつゝ遁れ入りければ。時致は遁さじと。御前をも憚らず。逃げ行く敵を目に懸けて。跡を慕うて追うて行く。(中入) 新田詞「然る処に新田の四郎忠綱は。君の仰せに随ひ。仮屋の前後を警固して居たりしが。見れば十郎祐成。血刀振つてまつしぐろに打ち入りけるを。 地「留めんと思ひ打ち合ひけるが。無慙や祐成は。宵より疲れし事なれば。新手に責め立てられ。受太刀に為つて弱り行くを。畳みかけて打ち伏せつゝ。太刀押し拭ひ鞘にさし。心静に立ち帰る。 クセ「無慙なるかな祐成は。臥したる枕より。如何にや如何に忠綱。我も遁れぬ中なれば。他人の見る目恥かしや。はや〳〵討ち取り。後の世弔ひてたび給へ。時致はかくとも。知らで便や失はん。死出の山。三途の川も一所にと。誓ひし事も徒に。早是までぞ首打てや。南無阿弥陀仏と合掌す。 キリ地「移れば変はる世の習ひ。今日此頃も膝を組み。互に隔てぬ中なれど。武士のはかなさよ。切らで叶はぬ輪廻のきづな。南無阿弥陀仏と。首打ち落し取り持ちて。御所へとてこそ参りけれ。〳〵。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第八輯』大和田建樹 著