能「土蜘蛛」の詞章とともに、「平家物語 剣巻(つるぎのまき)」からこの曲の元となった部分を掲載しています。
併せて内容の把握にお役立てください。

剣巻は平家物語の冒頭に置かれた巻で、源氏に伝わる名刀「鬚切」「膝丸」の逸話が述べられます。
能「土蜘蛛」はこの剣巻から、膝丸を「蜘蛛切」と改名したエピソード、源頼光の土蜘蛛退治譚を話の種として作られました。
同じく剣巻を題材とする曲に「鉄輪」「羅生門」があります。

 

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土蜘蛛


ツレ 胡蝶
シテ 僧形の者
トモ 頼光従者
ツレ 源頼光
ワキ 郎等の一人


ワキ 前に同じ。
ワキヅレ 随行者
シテ 蜘蛛の精霊

地は 前は京都 後は大和
季は 雑

ツレ次第「浮き立つ雲の行方をや。〳〵。風の心地を尋ねん。
サシ「是は頼光の御内に仕へ申す。胡蝶と申す女にて候。
詞「さても頼光例ならず悩ませ給ふにより。典薬の頭より御薬を持ち。唯今頼光の御所へ参り候。いかに誰か御入り候。
トモ詞「誰にて御座候ふぞ。
ツレ「典薬の頭より御薬を持ちて。胡蝶が参りたるよし御申し候へ。
トモ「心得申し候。御機嫌を以て申しあげうずるにて候。
頼光サシ「こゝに消えかしこに結ぶ水の泡の。浮世にめぐる身にこそありけれ。げにや人知れぬ。心はおもき小夜衣の。恨みん方もなき袖を。かたしきわぶる思ひかな。
トモ「いかに申し上げ候。典薬の頭より御薬を持ちて胡蝶の参られて候。
頼光「こなたへ来れと申し候へ。
トモ「畏つて候。此方に御参り候へ。
ツレ「いかに申し上げ候。典薬の頭より御薬を持ちて参りて候。御心地は何と御入り候ふぞ。
頼光「昨日より心もよわり。身も苦しみて。今は期を待つばかりなり。
ツレ「いや〳〵それは苦しからず。病ふは苦しき習ひながら。療治によりてなほる事の。ためしは多き世の中に。
頼光「思ひも捨てず様々に。
地「色をつくして夜昼の。〳〵。境も知らぬ有様の。時のうつるをも。おぼえぬほどの心かな。げにや心を転ぜず。其まゝに思ひ沈む身の。胸を苦しむる。心となるぞ悲しき。
シテ一声「月清き。夜半とも見えず雲霧の。かゝれば曇る心かな。
詞「いかに頼光。御心地は何と御座候ふぞ。
頼光「ふしぎやな誰とも知らぬ僧形の。深更に及んで我を訪ふ。其名はいかにおぼつかな。
シテ「愚の仰せ候ふや。悩み給ふも我脊子が。来べき宵なりさゝがにの。
頼光「蜘蛛のふるまひかねてより。知らぬといふに猶ちかづく。姿は蜘蛛の如くなるが。
シテ「かくるや千筋の糸すぢに。
頼光「五体をつゞめ。
シテ「身を苦しむる。
地「化生と見るよりも。〳〵。枕にありし膝丸を。抜き開きちやうと切れば。そむくる所をつゞけざまに。足もためず薙ぎ伏せつゝ。得たりやおうとのゝしる声に。形は消えて失せにけり。〳〵。(中入)
ワキ詞「御声の高く聞え候ふほどに馳せ参じて候。何と申したる御事にて候ふぞ。
頼光「いしくも早く来たる者かな。近う来り候へ語つて聞かせ候ふべし。さても夜半ばかりの頃。誰とも知らぬ僧形の来りわが心地を問ふ。何者なるぞと尋ねしに。我せこが来べき宵なりさゝがにの。蜘蛛のふるまひかねてしるしもといふ古歌をつらね。即ち七尺ばかりの蜘蛛となつて。我に千筋の糸を繰りかけしを。枕にありし膝丸にて切り伏せつるが。化生の者とてかき消すやうに失せしなり。是と申すもひとへに剣の威徳と思へば。今日より膝丸を蜘蛛切と名づくべし。なんぼう奇特なる事にては無きか。
ワキ「言語道断。今に始めぬ君の御威光剣の威徳。かた〴〵以てめでたき御事にて候。また御太刀附のあとを見候へば。けしからず血の流れて候。此血をたんだへ化生の者を退治仕うずるにて候。
頼光「急いで参り候へ。
ワキ「畏つて候。(中入)
ワキ一声「土も木も。我大君の国なれば。いづくか鬼のやどりなる。其時一人武者すゝみ出で。彼塚にむかひ大音あげていふやう。是は音にも聞きつらん。頼光の御内に其名を得たる一人武者。いかなる天魔鬼神なりとも。命魂を断たん此塚を。
地「崩せや崩せ人々と。呼ばゝり叫ぶ其声に。力を得たるばかりなり。下知に従ふ武士の。〳〵。塚をくづし石をかへせば。塚の内より火焰を放ち。水をいだすといへども。大勢くづすや古塚の。あやしき岩間の陰よりも。鬼神の形は顕はれたり。
後ジテ「汝知らずや我むかし。葛城山に年を経し。土蜘蛛の精魂なり。猶君が代に障をなさんと。頼光に近づき奉れば。かへつて命を断たんとや。
ワキ「其時ひとり武者すゝみ出で。
地「其時一人武者すゝみいでゝ。汝王地に住みながら。君を悩ます其天罰の。剣にあたつて悩むのみかは。命魂をたゝんと。手に手を取り組みかゝりければ。蜘蛛の精霊。千筋の糸を繰りためて。投げかけ〳〵白糸の。手足にまとはり五体をつゞめて。斃れ伏してぞ見えたりける。
ワキ「然りとはいへども。
地「しかりとはいへども。神国王地のめぐみを頼み。彼土蜘蛛を中にとりこめ。大勢みだれかゝりければ。剣の光に少しおそるゝ気色を便りに。切り伏せ〳〵土蜘蛛の。首打ちおとし悦びいさみ。都へとてこそ帰りけれ。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第四輯』大和田建樹 著

 

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平家物語 剣巻

同年の夏のころ、頼光瘧病を仕出し、如何に落せども落ちず、後には毎日に発りけり。発りぬれば頭痛く、身ほとぼり、天にも著かず地にもつかず、中にうかれて悩まれけり。かやうに逼迫する事、三十余日にぞ及びける。或時又大事に発りて、少し減につきて、醒方になりければ、四天王の者共看病しけるも、皆閑所に入りて休みけり。頼光少し夜深方の事なれば、幽なる燭の影より、長七尺ばかりなる法師、する〳〵と歩み寄りて、縄をさばきて頼光につけんとす。頼光是に驚きてがばと起き、何者なれば、頼光に縄をばつけんとするぞ、悪き奴かなとて、枕に立て置れたる膝丸おつ取りて、はたと切る。四天王共聞きつけて、我も〳〵と走り寄り、何事にて候ふと申しければ、しかじかとぞ宣ける。灯台の下を見ければ、血こぼれたり。手々に火を炬して見れば、妻戸より簀子へ血こぼれけり。此を追ひ行く程に、北野の後に大なる塚あり、彼塚へ入りたりければ、即ち塚を掘り崩して見る程に、四尺許なる山蜘蛛にてぞありける。搦めて参りたりければ、頼光安からざることかな、是ほどの奴に誑され、三十余日悩さるゝこそ不思議なれ。大路に曝すべしとて、鉄の串に指し、河原に立てゝぞ置きける。是より膝丸をば、蜘蛛切とぞ号しける。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『平家物語』永井一孝 校

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