髻判官 別名 衣川
シテ 義経の霊 ワキ 旅僧 所 奥州衣川 ワキ次第「在るか無きかの仮の宿。〳〵。とまり定めぬ我身かな。 詞「是は一所不住の僧にて候。我此程は衣川辺にさすらひ候。又古跡々々を尋ね。無縁の念仏申さばやと思ひ候。 道行「いづくにも心とめじと行く雲の。〳〵。空も名残は有明の。月を重ねつ日を暮らし。行くやもどるや道芝の。しばしがほどは陸奥を。めぐり果てざる旅路かな。〳〵。 詞「不思議やな是なる松の木の下に。髻を切捨て置きたり。何ものか発願の。法体執趣の跡なると。立寄り是を見んとすれば。 シテ「なふ〳〵御僧待ち給へ。其髪へは立寄り給ひそ。 ワキ「是は思ひもよらぬ御事かな。何といひたる事にて候ぞ。 シテ「其髻はいにしへの。九郎判官の髪にて候。敵のゆかりある故に。あだをなさんと髻を。道の辺りに捨置きて。人是をとらんとすれば。太刀風といふ風吹きて。其身を破り切断す。かまへて立寄り給ひそとよ。 ワキ「是は不思議の御事かな。かく告げ知らする御身は誰そ。 シテ詞「我こそ九郎判官なり。御身尊とくましませば。仮に顕はれ来りたり。跡弔らひてたび給へ。 地「名乗らずとてもみちのくの。〳〵。いはでしのぶはえぞ知らぬ。かまへて疑ひ給ふなよ。彼太刀風を吹かせつゝ。まことの姿見せ申さん。恐れ給はで待ち給へ。〳〵。(シカ〳〵) 地「不思議や松風あらく吹きて。れいとう響き村雨降り。心もすごき有様かな。 地「其時判官顕はれ出て。〳〵。我讒臣に亡びし故に。其恨残つて敵のゆかりに恨をなさんと。魂魄今にのうらんせり。 シテ「かゝりける所に。 地「かゝりける所に。黒雲のごとくなる。煙団虚空に飛び来つて。かなた此方をまろび飛んで。かけめぐりしが二つにわるれば。霊魂光。ひらめき渡るや太刀風の。草をなぎつ。水をさか巻き。梢をちらし。是ぞいにしへ判官の。刃の先の折れ残つて。太刀風と変満して。恨をなしける怖ろしや。すはや修羅の時来にけりと。判官は火焰を放ち。奈落の底にぞ入りにける。彼太刀風は今も残りて。恨をなすとぞ聞えける。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『新謡曲百番』佐佐木信綱 校