悪源太
ワキ 石山寺の住僧 シテ 悪源太義平 ツレ 難波次郎 地は 近江 季は 雑 ワキ詞「是は江州石山寺の住僧にて候。さても源氏の大将悪源太義平。落人となり給ひ。当寺を頼み御落ち候ふ間。当寺の衆徒共頼まれ申し。本堂の西の妻戸に置き申して候。又都へ注進申す事の候ふ間。岩の坊へ移し申し。酒をすゝめ申さばやと存じ候。いかに案内申し候。悪源太殿の御座候ふか。寺中より御使に参じて候。 シテ「何の御為にて候ふぞ。 ワキ「さん候本堂は人目しげき所にて候。岩の坊と申して要害よき所にて候。あれへ御移り候へ。 シテ「さても義平落人となり落ち下る所に。当寺の人々かひ〴〵しく頼まれ給ふ事。誠に頼もしうこそ候へ。殊に岩の坊へのこゝろざし切に存じ候。さらば岩の坊へ立ち越えうずるにて候。 シテ詞「左馬の頭殿の行方や知しめし候。 ワキ詞「さん候左馬の頭は尾張の国長田の庄司を頼み御落ち候ふところに。長田の庄司かひ〴〵しく頼まれ申し。日番きびしく守護し申し候ふとこそ承りて候へ。 シテ「長田は譜代の郎等なれば。よも心がはりは候ふまじ。さて頼朝は何とかなりて候ふらん。 ワキ「それは何方の御志とは知らず。当国へ御下り候ひて草野の辺に御座候ひしを。平家の侍弥平兵衛三百余騎にて都へ御供申したると承り及びて候。 シテ「さては早切られてぞ候ふらん。末の露本の雫や世の中の。今日ありとてもあだ命。明日をもいさや白真弓。石山寺の苔とや朽ちん。定めなの世の中や。 ワキ詞「しばらく候。源氏の当寺より御出であつて。出世し給ひし嘉例の候。 シテ「それこそ聞かまほしう候へ。とく〳〵御物語り候へ。 ワキ詞「さても康保元年八月十五日に。紫式部当寺に籠り源氏の物語を書く。されども大慈大悲の御ちかひにや。程なく源氏六十帖を書き大やけに奉る。君此草子を叡覧あつて。諸国に弘め給ひしよりこのかた。源氏の物語とて天下に名を得たる草子なり。また此君も源氏の嫡子にてましませば。当寺より御出であつて。必ず御代をめさるべき。御瑞相とこそ存じ候へ。 シテ「それは物語の源氏。是は武勇の手本。たとへにならぬ事なれども。名詮自称と申す事の候ふ程に。時の祝言候ふな。 ワキ「中々の事必ず御代をめされうずるにて候。 シテ「実にや縁もなつかしき。紫式部が筆の跡。 ワキ「出でし源氏も此寺の。大慈大悲の値遇の縁。 シテ「薩埵の悲願さま〴〵なれども。多き中にも救世の願。 ワキ「有縁は殊に申すに及ばず。 シテ「縁なき人をも洩らさじの。 ワキ「ちかひぞ深き。 シテ「鳰の海。 地「さゝ浪さゆる志賀の浦。〳〵。洲崎に立てる一つ松の。影すごく見えたるは。今の義平が。たぐひなき身に知られたり。比良の山。おろしや寒き比叡の大嶽。雪のふゞきのさえかへり。志賀の山越園城寺。関山粟津見え渡る。瀬田の長橋。とだえなく多き名所かな。 ワキ詞「いかに申すべき事の候。悪源太殿の十六騎の兵。御大将共に十七騎の御名字が承りたく候。 シテ詞「安き間の事語つて聞かせ申すべし。昔は源平左右にして。朝家を守護し奉るといへども。保元の代の乱れ。親子兄弟おし分つて。敵となり味方となる。こゝに悪右衛門の督信頼といふいたづら者に与し。平治に謀叛を起しゝかば。源平両家の合戦となる。 地「去んぬる保元に。〳〵。味方と有りし清盛も。平治の今は敵となつて。合戦数度に及びたり。平家は三千余騎。味方はわづか五百余騎。されども軍には。一度不覚の名を取らず。 クセ「平家の大将重盛が。手勢五百余騎。信頼が固めたる。郁芳門にさし向ふ。陽明門は纔に。義平が手勢十六騎。たとへば蟷螂が斧を執つて。龍車に向ふ如くなり。十六騎の兵は。鎌田兵衛政清。後藤兵衛実元。波多の次郎義通。佐々木の源三三浦の次郎。山の内の。須藤刑部成道。岡部の六弥太忠澄。長井の斎藤別当実盛。猪の俣の小平六のりつな。熊谷の次郎直実。金子の十郎。平山の武者季重。足立の右馬の允。上総の介広綱。関の次郎伊切の八郎。是等は一人当千の兵。悪源太我十七騎是なり。 ワキ詞「近頃承る事にて候。とてもの御事に候はゞ。二条堀川材木の合戦の有様。まなうで御見せ候へ。 シテ「さても義平は陽明門を固めたりしに。達智門におはします。義朝の方より使者を立て。悪源太一合戦仕れとありしかば。畏つて候ふとて。例の十七騎。敵五百余騎が中に割つて入り。散々に切つてまはる。敵五百余騎は味方十七騎に切り立てられ。大庭の椋の木のもとまで追つ散らさる。其時鎌田申すやう。重盛の召されたる御鎧は。唐革と申して。射るとも切るとも裏かく事あるまじ。唯御馬をあそばし候へ。跳ね落さんとする処を寄つて組ませ我君と申す。実にもと思ひ十三束の中ざしよつぴいて放つ。何かは少しはづすべき。馬の三つよりむながひ掛けずつゝと射通す。名馬なれどもこらへずして。頻りに跳ぬれば重盛は。二条堀川材木の上におり立つて。小烏ぬいて待つ処を。 地「政清是を見て。馬より飛び下り太刀さしかざし。たちばなの政清と。名乗りかけ〳〵。重盛に切つてぞかゝりける。 シテ「重盛が郎等に。 地「重盛が郎等に。与三左衛門かげやすも。馬より飛び下り大太刀抜いて。重盛がおもてに立つて。鎌田兵衛と戦ひけるが。いざや組まんと太刀投げ捨てゝ。所は二条堀川の。筏の上にてむずと組んで。上や下へところび居たり。さる程に義平は。重盛を討たんとかゝりしに。政清組み負けて下にあり。義平心に思ふやう。重盛を討つならば。其隙に鎌田討たるべし。重盛は後にても逢ふべし。鎌田を討たせてかなふまじと。上なる与三左衛門が。甲を取つてかなぐり捨て。乱髪をかいつかんで首かき落す。其隙に乗替に乗つて重盛は。跡も遥に逃げのびたり。あら惜しの敵や。 シテ「思へば悔しや。 地「手ごめたる敵を打ちもらし。遂に軍に打ち負けて。落人の身となる。運の極めぞ悲しき。 ロンギ地「よし何事も定め無き。習ひを頼みおはしまし。御代を待たせ給へや。 シテ「かやうに聞けば慰みの。心催す盃の。情有りとよ人々。 地「はや時うつる日の影の。かたぶく酒の盃の。 シテ「数重なれば程もなく。 地「無明の眠りすゝみ来て。 シテ「酔ひの心も。 地「其まゝに。前後忘じて義平は。猛き心も弱りて。礼盤を枕に臥し給へば。衆徒は静かにさし足して。座敷を立ち去りぬ。御運の程ぞ痛はしき。 難波詞「抑是は難波の次郎経遠にて候。さても源氏の大将悪源太義平。江州石山寺を頼み御落ち候ふ処に。始めは衆徒頼まれ申し。又心がはりし都へ注進申し候ふ間。経遠に討手の大将衆給はり。手勢七十騎を以て。只今石山寺に下り候。いかに此内に悪源太殿の御座候ふか。都より御迎に参じて候。 シテ「義平是にありそも何者ぞ。 難波「難波の次郎経遠が御迎に参じて候。 シテ「さては義平を生捕るとや。 難波「中々の事。 シテ「あらずとよ汝は二条堀川の合戦に。正しき主の重盛を捨てゝ。行方も知らず逃げし奴が。討手とははか〴〵しや。 難波「正なくも御諚候ふものかな。かくるも引くも軍の習ひ。時に従ふ事ぞかし。よしともあれや若き者共。参りて生捕り奉れと。経遠が下知に従つて。 地「究竟の兵七十余騎。〳〵。切先を揃へて持仏堂の。小庭のおもてに乱れ入る。 シテ「義平が手並をば。 地「保元平治両度の合戦に。兼ねても見もし聞きつらん。汝等に向つては。打物よごしと思へども。時の敵は力なしとて。礼盤を手楯に取つて。二尺五寸の小太刀を抜いて。小椽に躍り出でゝ。向ふ敵を待ち懸けたり。心は猛くましませど。多勢に一人は叶ふべきか。追つ取り廻して攻め申せとて。大勢一度にばつとかゝれば。 シテ「義平是にありとて。 地「多勢が中に割つて入り。弓手に合ひつけ馬手にあひつけ。蝶鳥稲妻石の火の。見あへぬ程に切り給へば。嵐に木の葉の散る如く。大勢は乱れ散つて。門よりあらはに切り出だす。 シテ「義平心に思ふやう。 地「義平心に思ふやう。打ち破つて落ちん事は。やすき間の事なれども。心と生捕られて都に上らば。重盛に対面せんずらん。さもあらば縄引き切つて。重盛が首ねぢ切つて。思ふ本望遂ぐべきものをと。小庭の面に立つて。太刀も投げ捨て楯も捨てゝ。縄かけよ生捕れと。いへども恐れて寄る者なし。 難波「其時経遠下知をなし。 地「其時経遠下知をなし。討ち申す事なかれ。生捕り奉れ。寄れや者共と下知すれば。兵一度にばつとより。手取り足取り千筋の縄を。くりかけ奉り。難波が馬にかき乗せ申し。都へ上れば囚人と申せど。御顔気色はあたりを払つて。恐ろしかりける勢かな。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第七輯』大和田建樹 著