出雲龍神
前シテ 社人 後シテ 出雲の神 後ツレ 龍神 ワキ 塩冶五郎貞俊 トモ 従者 狂言 従者 所 出雲大社 時 十月中旬 次第「紅葉を幣帛といふしでの。〳〵。神の昔の跡とはむ。 ワキ詞「是は雲州の何某塩冶の五郎貞俊にて候。扨も当国大社は。素盞嗚尊の霊跡にて。我日の本の宗神なれば。和光のかげもいや高し。されば十月中旬より。当地におゐては。物忌深く。神事を執行候により。世もつて諸神の会合と名付。当国をば神有月。他国は何不別神無月と申慣はし候へ共。未其実否を聞ず候に付。只今大社へ詣で。社人に子細を尋ばやと存候。 道行「時雨降夕べの雲の絶々に。〳〵。暁さむく冬の夜の。月も暉く神垣に。あゆみを社は運びけれ。〳〵。 ワキ詞「いかに誰か有。 トモ「御前に候。 ワキ「某社参申て候よし社人の方へ申入候へ。 トモ「畏て候。(シカ〴〵) シテ「や。御詣で候か。此方へ御渡り候へ。(シカ〴〵) ワキ「いかに申候。 シテ「何事にて候。 ワキ「されば当地におゐて。十月を神有月といふ事。日の本の諸神会合により。神有月と申候由云伝へて候は。必定にて候か。 シテ「是は一大事の事を御尋候物かな。惣じて神の御事に。浅々敷は申さね共。又秘し申も如何なり。さらば卒度子細を申候べし。 語「されば当国出雲の国は。陽分を発する明地にして。霊神光を和げ僊座あり。一歳の中に十月めは。陽分去つて陰分のみ残れるにより。当国に世間の陽をひとつにすれば。其司どる物なきゆへ。他こくには神無月。当地には神有月と申ならはし候とかや。諸神会議と申事は。心得難く候ぞや。元来正法不思議なし。構て左様に御心得候へ。 ワキ「真に是は神秘なり。正法にふしぎはなき事ながら。当所は勝れて名も高き。神の御徳の事なれば。世に替りたる事はなく候か。 シテ「されば爰に又ひとつの奇妙御座ます。当月中半の月の夜すがら。龍神御灯捧げつゝ。ひとつの霊蛇を捧げ来る也。其形美敷。僅たけは二三寸。尾には剣の形有。鱗のなりは纐纈にて。此神前へ捧げくるを。社人とりて宝殿に納め。又明年の十月迄。封じ置に色変らず。ちつとも穢し有さまなし。誠に奇特の御事にて候。 ワキ、カヽル「扨々夫は奇妙なり。いで其比は。 シテ「神有月中の十日の内なれば。 歌、同「おりこそ今よいざ更ば。〳〵。御通夜をなして夜もすがら。神をすゞしめたまふべし。時刻になれば浦浪の。立来る沖の満塩に。心を付て御覧ぜよ。暫く待せ給へとて。宮人は帰りけり。本宅に社は帰りけれ。(中入) 地「久堅の。月も暉く社頭の光。明々として。有難さよ。 後シテ、一声「八雲立。出雲八重垣としふりて。宮居もすめる夜神楽に。波の鞁も声そへて。龍灯忽顕はれ出たり。実誠也。奇特哉。 同「あれ〳〵見よや沖つすに。波打よせて。立浮雲に。龍蛇の勢ひあたりを払ひ。彼小龍を玉盤に備へ。社壇に向て。歩み寄る。 龍神「龍神小蛇を捧げつゝ。〳〵。宝殿に備へ奉れば。社人はかわらぬ奇瑞を感じ。猶すずしめの。神楽の音に。龍神八苦の眠りを覚し。弥国土の守護神と成て。十雨五風の時を違へず。民富豊に五穀成就。息災延命。万歳楽と。舞治めて。波を帰すや大蛇の形。又沖津洲へ飛入て。〳〵。龍宮へ社は帰りけれ。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『宴曲十七帖 謡曲末百番』国書刊行会 編