能「伊呂波」の詞章とともに、「古今著聞集」からこの曲の元となった部分を掲載しています。
併せて内容の把握にお役立てください。

たくさんの逸話に彩られた弘法大師空海は、能書家としての一面があり、同時代に活躍した嵯峨天皇、橘逸勢とともに三筆と呼ばれます。
古今著聞集」では空海が嵯峨天皇と書の腕を競ったことが述べられ、やがてこのエピソードを取り入れた「伊呂波」が作られました。

 

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伊呂波

シテ 空海の霊
ワキ 菅好治
ワキツレ 同伴者

所 京都東寺
時 三月下旬

ヲトコ「か様に候者は洛陽に住居する。菅の好治と申者にて候。今日は弥生後の一日。大師御入定の会式なれば。若き人々を倡ひ東寺へ参詣仕候。
サシ「実や仰ぐも辱なや。四十八字の偈にいはく。
立衆「去ば咲花の。色は匂へど散ぬるを。我よたれぞ常ならむ。有為の奥山今日越て。あさき夢見しゑひもせず。京童を始とし。我日の本の宝となり。三国伝来の。書籍に通用す。殊に言葉の其内に。無常を進め睦しき。大慈大悲ぞ有難き。〳〵。
詞「急候程に。是は早東寺に着て候。皆々かふ渡り候へ。
シテ、サシ「夫尺牘の書疏は千里の面目也。凡六の文は体の姿を顕はす輩。驚鸞反鵲の勢ひを習ふ人。纔に一字をなして万代の誉れをいたす。諸道に勝れし筆道。貴みても余り有は。遍照金剛荒有難の御事やな。
ワキ「いかに是なる老人。御身は此辺の人か。
シテ「不思議やな。かほど群集の其中に。分て詞を懸給ふは。何の御用の有やらん。
ワキ「さん候。是は洛陽に住者成が。何れも手跡をたしなみ。分て大師の御筆の跡を。及ばずながら学ぶ故。道を祈りて折々は。参詣申者成が。唯今御身の詞の末に。筆道の不可思議なる事を宣たまふは。同じ願ひの人やらんと。尋申さん其為に。そ忽に詞を懸申す。御心にあはず共。若きにゆるしおはしませ。
シテ「扨は誮しくも手跡に心を入る人とや。我も此寺辺に年を経て。老せまりたる上にても。手跡を学び申也。皆々も信心私なくば。能書と成給はん事疑ひあらじ。たゞ怠らず学ばれ候へ。
ワキ「実有難き御詞や。又承はれば大師は。我朝のみか漢土迄。其名隠れぬ御事よなふ。
シテ「中々の事。入唐渡天まし〳〵て。御智恵をためされ筆道をならひ。三国に御名をかゞやかし。和朝の誉れを顕し給ふ。
ワキ「御身寺辺の人ならば。猶も大師の御事を。委御物語候へ。
シテ「元来旧記にとゞまれ共。御尋にて候程に。懇に語り候べし。
クリ、同「抑大師と申は。金剛三知の薩埵にて。唐土にては恵果にま見え。天竺五台山にては。正身の文殊菩薩を拝し給ふ。浅からぬ大師にておはします。
サシ「唐土にては五筆和尚と号し。我朝にしては三跡のかみに立給ふ。
同「其頃嵯峨の天皇の御宇に叡慮として。唐土和朝の手跡をあつめさせまし〳〵て。筆道に御慮を。尽させ給ふ。
クセ「或時御門は空海を。内裏に召れ此間。異朝より名翰の。巻物朝来せり。日の本に能書多く共。異国には及ばずと。宣旨あれば。空海は。巻物を披見ある。是は我入唐の砌に書たりしと。勅答有ければ。帝いぶかしく思召。支証有やと。叡問なされしかば。則軸を放せば。日の本の沙門空海筆と顕せり。帝猶も覚束なく。然らば此ごとく書ずして。異やうなりと宣旨有。
シテ「大師勅答ましますは。
同「漢土は大国成故に。文字も相応の形ちなりと。答へさせ給へば。帝叡感浅からず。夫より空海を信じおはしまし。大内裏御造営。十二門の其額。南面は大師。西の三つは小野の良記。北は橘の巨勢麿。東の三つは嵯峨の帝。垂露の点を下して。天下の眉目驚怖せり。然して小野の道風。大師の御分律を。難じて朱米と名付。嘲ける権筆を。そしる科にや忽ち。道風手ぶるひせし事。偏に誹る科とかや。心に信なき故ぞ。只正直に修行せよ。我空海と宣ひ。御厨子に入せ給ひけり。〳〵。
後シテ「我過去七仏より以来。番々出生し。今日域に結縁ふかく。其名は高野に入定し。弥勒の出世を待といへ共。衆生済度の思ひふかく。真言秘密の窓の前に。三密の月を澄し。蛍雪にうそぶいて。書経に眼をさらす。有がたや。仏法流布の国なれば。神は高間が原に顕れ。仏は衆生の迷闇を照し。
同「粟散辺土と人はいへども。仏法繁昌神国仏国。竺土も唐土も争か我朝に増らんや。頼めや憑め信受せよ。
シテ「昔日神国の御国の内に。
同「邪の神霊を。千里の外にはらひ給へ共。其執眷属山々峰々嶽々に残り。閑ならず。殊に東夷西戎を治めん為に。魔山に分入。樹下石上に秘密を行へば。雲となり。雨となり。障碍をなせども仏力におされ。虚空に飛去。ならびに山上に水をふうじ。潮海の中に清水を出し。社頭を清め。殺生をとゞめ。秋津島根の風俗を和げ。仁義の道に返る車路。とゞろく道橋をふたたび修覆し。天下泰平。国土安穏。君も豊かに民安き。真言の法味ぞ有難き。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著『宴曲十七帖 謡曲末百番』国書刊行会 編

 

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古今著聞集 巻第七 第八 能書

尺牘の書疏は、千里の面目なりといへり。凡そ六の文は体の姿をあらはす輩、驚鸞反鵲のいきほひを習ふ人、僅に一字の跡をのこして、遥に万代のほまれをいたす。もろ〳〵の芸能の中に、手跡まことにすぐれたり。
嵯峨天皇と弘法大師と、常に御手跡を争はせ給ひけり。ある時御手本、あまた取りいださせ給ひて、大師に見せまゐらせられけり。その中に、殊勝の一巻ありけるを、天皇仰事ありけるは「是は唐人の手跡なり。その名を知らず。いかにもかくは学びがたし。めでたき重宝なり」と、頻に御秘蔵ありけるを、大師よく〳〵いはせまゐらせて後「是は空海が仕うまつりて候ふものを」と、奏せさせ給ひたりければ、天皇更に御信用なし。大に御不審ありて「いかでかさる事あらん。当時かゝるやうに、甚だ異するなり。はしたてゝ及ぶべからず」と、勅定ありければ、大師「御不審、まことにそのいはれ候ふ。軸を放ちて、あはせめを御叡覧候ふべし」と申させ給ひければ、即ち放ちて御覧ずるに、その年その日、青龍寺において書。沙門空海と記されたり。天皇この時御信仰ありて、「誠に我にはまさられたりけり、それにとていかにかく、当時のいきほひには、ふつとかはりたるぞ」と、尋ね仰せられければ「その事は国によりて、書き替へて候ふなり。唐土は大国なれば、所に相応して、いきほひかくの如し、日本は小国なれば、それにしたがひて、当時のやうを仕うまつり候ふなり」と、申させ給ひければ、天皇大に恥ぢさせ給ひて、その後は、御手跡あらそひもなかりけり。
大内十二門の額、南面三門は弘法大師、西面三門は大内記小野美材、北面三門は但馬守橘逸勢、各各勅を承はりて、垂露の点を下しけり、東面三門は、嵯峨天皇かゝせおはしましける。まことにや。道風朝臣、大師のかゝせ給ひたる額を見て、難じていひける、「美福門は田広し、朱雀門は米雀門」と、略頌に作りてあざけりはべりける程に、やがて中風して、手わなゝきて手跡も異やうになりにけり。(後略)

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今著聞集』橘成季 著 他

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