内外詣
シテ 大神宮神官 ツレ 同 ワキ 勅使 ツレ 勅使随行臣下 所 伊勢大神宮 ワキツレ次第三人「光のどけき日の本や。〳〵。内外の宮に参らん。 ワキ「抑是は当今に仕へ奉る臣下なり。扨も。我君伊勢大神宮を信じ給ひ。臨時のみてぐらを捧げられ候程に。急ぎ参詣仕れとの宣旨を蒙り。唯今勢州の旅に赴き候。 ワキ三人「春立つや矢走の浦の朝霞。〳〵。たなびく末を湖や。影も常磐に見え渡る鏡の峰をよそに見て。松の嵐も鈴鹿川。関の戸さゝで是ぞ此。伊勢の宮居に着きにけり〳〵。 ワキ「急ぎ候程に。伊勢の宮居に着きて候。心静に神拝申さうずるにて候。 シテツレ一声「治れる。御代の恵も神風や。伊勢の宮居に。出づるなり。 ツレ「曇らぬ夜半の星迄も。 シテツレ「和光に余る。影ならん。 シテサシ「有り難やいすゞの清き宮柱。太しく立て秋津洲の。 シテツレ「神の御稜威は異国に。あふぎても猶余あり。賤しき賤の身にしありとも。心をみがくに隔てはなし。神さぶる伊勢の内外の宮柱。立てし誓に二心〳〵。あらずは末に栄えなん皇大神の御恵に叶はんとしも思ひなば。唯正直を元として。あふぎて仕へ申せとよ。〳〵。 ワキ「如何に是なる宮人に申すべき事の候。 シテ「此方の事にて候か。何事にて候ぞ。 ワキ「是は当今に仕へ奉る臣下なるが。勅使として参詣仕りてあるぞとよ。 シテ「何と勅使に御座候とや。 ワキ「中々の事。 シテ「唯今の御参宮返す〴〵も御目出たうこそ候へ。 ワキ「急ぎ祝詞を参らせ候へ。 シテ「畏つて候。謹上再拝。高天の原に神集りまして。天の岩戸を押開き。天の八重雲を伊豆のちわきにちわきて聞し召せ。抑天長く地久しく。上直なれば下迄も。安く楽しむ御恵。あふぎ願はくは祓殿の神。八百万の神達。聞し召し受け給へと。畏み〳〵申す。 地「実に有り難や此神の。〳〵。深き恵の道広く。万物も出生し四海の波も静かにて。実に君は船臣は水。水よく船を浮ぶなる。此日の本は有り難や。〳〵。 地クリ「夫れ神の御孫の末長く。君臣親子夫婦兄弟。共に礼義をなすとかや。 シテサシ「中にも人は天地の恵を受け。 地「父母の身を別け生れ来て。赤き子の身より哀憐の。情によりて人となる。 シテ「されども君の恵まずば。一時の命も保ち得じ。是ぞ神君父母の重恩。詞に尽しがたかるなり。 クセ「日月は。六合を照せども。誠は正直の。頭を照すしるしを水晶の玉の中に。御影をうつし給へり。其如く人の身も。清浄心の。頭を深く天照す。皇太神の御神言は有り難や。君に仕へて義を守り。己を尽し身を砕き。忠信に仕へ申すべし。孝行の其道。多き中にも父母の。我子は心に。誠の深きものなれば。如何なる遠国に独ありとても行末の。心にかゝる事なしと楽しみを。なさせ申すを先とする。 シテ「友と交り信ありて。 地「私の意趣を以て。身を捨つる事なかれ。たとひ我とは不和なりとも君の為によき人をば。徳をあげてほむべし。此理をわきまへば。夫婦兄弟朋友。子孫家人に至る迄。五常の道に叶ひなん。是本立つて道なる印とこそは見えにけれ。 ワキ「実に有りがたき物語。心にしみて覚えたり。又時刻も来りてある間。急ぎ神楽を参らせ獅子をも御舞ひ候へ。 シテ「畏つて候。如何に申し候。急ぎ神楽を参らせ候へ。 ツレ「心得申して候。さる程に時うつり。 地「さる程に時うつり。きねが鼓も数至りて月も雲も白妙の。袖をかへして神かぐら。 ツレ「千早振る。五日の風や十日の。 地「雨もうるほふ獅子の舞。かくて明け行く山風に。〳〵。波の鼓も声打ち添へて。幾万代と舞ひをさむれば。星月神灯白み渡るや東の空に。五色の雲もかゝやき出づる。日神の御姿あらはれ給へば。夜も明け行くや内外の宮居。〳〵の。栄ゆく春こそひさしけれ。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『四流対照 謡曲二百番 上巻』芳賀矢一 訂