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善知鳥 烏頭とも書く

世阿弥作


ワキ 旅僧
シテ 老翁


ツレ(母) 猟師の妻
子方(謡なし) 其子千代童
ワキ 前に同じ
シテ 猟師の霊

地は 前は越中 後は陸奥
季は 四月

ワキ詞「是は諸国一見の僧にて候。我いまだ陸奥卒土の浜を見ず候ふ程に。此度思ひ立ち卒土の浜一見と志して候。又よきついでにて候ふ程に。立山禅定申さばやと存じ候。急ぎ候ふ程に。是は早立山に着きて候。心静かに一見せばやと思ひ候。さても我此立山に来て見れば。まのあたりなる地獄の有様。見ても恐れぬ人の心は。鬼神より猶恐ろしや。山路に分つ街の数。多くは悪趣の嶮路ぞと。涙もさらにとゞめ得ぬ。慙愧の心時過ぎて。山下にこそは下りけれ。〳〵。
シテ詞「なふ〳〵あれなる御僧に申すべき事の候。
ワキ「何事にて候ふぞ。
シテ「陸奥へ御下り候はゞ言伝申し候ふべし。卒土の浜にては猟師にて候ふ者の。去年の秋身まかりて候。其妻や子の宿を御尋ね候ひて。それに候ふ簑笠手向けてくれよと仰せ候へ。
ワキ「是は思ひもよらぬ事を承り候ふ物かな。届け申すべき事はやすき程の御事にて候ふさりながら。上の空に申してはやはか御承引候ふべき。
シテ「実にたしかなるしるしなくてはかひあるまじ。や。思ひ出でたり有りし世の。今はの時まで此尉が。木曽の麻衣の袖を解きて。
地「是をしるしにと。涙を添へて旅衣。〳〵。立ち別れ行く其跡は。雲や煙の立山の。木の芽も萌ゆる遥々と。客僧は奥へ下れば。亡者は泣く〳〵見送りて。行く方知らずなりにけり。〳〵。(中入)
ツレ母「実にや本よりも定めなき世の習ひぞと。思ひながらも夢の世の。あだに契りし恩愛の。別れの跡の忘れ形見。それさへ深き悲しびの。母が思ひを如何にせん。
ワキ詞「如何に此屋の内へ案内申し候はん。
ツレ詞「誰にて渡り候ふぞ。
ワキ「是は諸国一見の僧にて候ふが。立山禅定申し候ふ所に。其様すさましき老人の有りしが。陸奥へ下らば言伝すべし。卒土の浜にては猟師にて候ふ者の。去年の秋身まかりて候。其妻子の宿を尋ねて。それに候ふ簑笠手向けてくれよと仰せ候ふ程に。上の空に申してはやはか御承引候ふべきと申して候へば。其時めされたる麻衣の袖を解きて賜はりて候ふ程に。是まで持ちて参りて候。若し思し召し合はする事の候ふか。
ツレ母「是は夢かやあさましや。四手の田長のなき人の。上聞きあへぬ涙かな。
詞「さりながら余りに心もとなき御事なれば。いざや形見を簑代衣。まどほに織れる藤袴。
ワキ「頃も久しき形見ながら。
ツレ母「今取り出だし。
ワキ「よく見れば。
地「疑ひも。夏立つ今日の薄衣。〳〵。一重なれども合はすれば。袖ありけるぞ。あらなつかしの形見や。やがて其まゝ弔ひの。御法を重ね数々の。中に亡者の望むなる。簑笠をこそ手向けゝれ。〳〵。
ワキ「南無幽霊出離生死頓証菩提。
後ジテ「陸奥の卒土の浜なる呼子鳥。鳴くなる声はうとふやすかた。一見卒都婆永離三悪道。此文の如くは。たとひ拝し申したりとも。長く三悪道をば遁るべし。如何にいはんや此身の為め。造立供養に預からんをや。たとひ紅蓮大紅蓮なりとも。名号智火には消えぬべし。焦熱大焦熱なりとも。法水には勝たじ。さりながら此身は重き罪科の。心はいつかやすかたの。鳥獣を殺しゝ。
地「衆罪如草露恵日の日に。照らし給へ御僧。
地「所は陸奥の。〳〵。奥に海ある松原の。下枝に交じる汐蘆の。末引きしをる浦里の。籬が島の笘屋形。囲ふとすれどまばらにて。月の為めには卒土の浜。心ありける住居かな。〳〵。
ツレ母「あれはとも言はゞ形や消えなんと。親子手に手を取り組みて。泣くばかりなる有様かな。
シテ「あはれや実にいにしへは。さしも契りし妻や子も。今はうとふの音に泣きて。やすかたの鳥の安からずや。何しに殺しけん。我子のいとほしき如くにこそ。鳥獣も思ふらめと。千代童が髪をかき撫でゝ。あらなつかしやと言はんとすれば。
地「横障の。雲の隔てか悲しやな。〳〵。今まで見えし姫小松の。はかなや何処に。木隠笠ぞ津の国の。和田の笠松や箕面の。滝津波も我袖に。立つや卒都婆のそとは誰。簑笠ぞ隔てなりけるや。松島や。小島の苫屋内ゆかし。我は卒土の浜千鳥。音に立てゝ。泣くより外の事ぞなき。
地クリ「往事渺茫としてすべて夢に似たり。旧遊零落して半泉に帰す。
シテサシ「とても渡世をいとなまば。士農工商の家にも生まれず。
地「又は琴碁書画をたしなむ身ともならず。
シテ「唯明けても暮れても殺生をいとなみ。
地「遅々たる春の日も所作足らねば時を失ひ。秋の夜長し夜長けれども。漁火白うして眠る事なし。
シテ「九夏の天も暑を忘れ。
地「玄冬の朝も寒からず。
クセ「鹿を逐ふ猟師は。山を見ずといふ事あり。身の苦しさも悲しさも。忘れ草の追鳥。高縄をさし引く汐の。末の松山風荒れて。袖に波こす沖の石。又は干潟とて。海ごしなりし里までも。千賀の塩竈身を焦がす。報いをも忘れける。事業をなしゝ悔しさよ。そも〳〵善知鳥。やすかたのとり〴〵に。品かはりたる殺生の。
シテ「中に無慙やな此鳥の。
地「愚かなるかな筑波嶺の。木々の梢にも羽を敷き。波の浮巣をもかけよかし。平砂に子を生みて落雁の。はかなや親は隠すとすれど。うとふと呼ばれて。子はやすかたと答へけり。さてぞ取られやすかた。
シテ「うとふ。
地「親は空にて血の涙を。降らせば濡れじと菅簑や。笠を傾けこゝかしこの。便を求めて隠笠。隠簑にもあらざれば。猶降りかゝる血の涙に。目も紅に染み渡るは。紅葉の橋の鵲か。
地「娑婆にては。善知鳥やすかたと見えしも。〳〵。冥途にしては怪鳥となり。罪人を追つ立て鉄の。嘴を鳴らし羽をたゝき。銅の爪を磨ぎ立てゝは。眼をつかんでしゝむらを。叫ばんとすれども猛火の煙に。むせんで声をあげ得ぬは。鴛鴦を殺しゝ科やらん。遁げんとすれど立ち得ぬは。羽抜鳥の報いか。
シテ「うとふは却つて鷹となり。
地「我は雉とぞなりたりける。遁れ交野の狩場の雪吹に。空も恐ろし地を走る。犬鷹に責められて。あら心うとふやすかた。安き隙なき身の苦しみを。助けてたべや御僧。助けてたべや御僧と。いふかと思へば失せにけり。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第四輯』大和田建樹 著

作者不詳とするのが一般的ですが、世阿弥作とする説もあり、底本では世阿弥作と記されています。

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