能「鵜羽」の詞章とともに、古事記から「海神の国訪問」および「鵜葺草葺不合命の誕生」を現代語訳で掲載しています。
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鵜羽

世阿弥作


ワキ 官人
シテ 海人乙女
ツレ 同


ワキ 前に同じ
シテ 豊玉姫

地は 日向
季は 秋

ワキ次第「伊勢や日向の神なりと。〳〵。誓ひはおなじかるべし。
詞「抑是は当今に仕へ奉る臣下なり。さても九州鵜戸の岩屋は。神代の古跡にて御座候ふ程に。此度君に御暇を申し。唯今九州に下向仕り候。
道行「旅衣。猶立ち重ね行く道の。〳〵。浦山かけてはる〴〵と。馴れて心を筑紫潟。鵜戸の岩屋に着きにけり。〳〵。
シテ、ツレ一声「鵜の羽ふく。今日の御祓ぞ神の小屋。立つ浪風も心せよ。
ツレ「うどの岩屋の神の代を。
二人「思へば久しあきつ国。
シテサシ「有りがたや過ぎし神代の跡とめて。聞けば昔に帰る浪の。
二人「白木綿かけて秋風の。松にたぐへて磯の宮。鵜の羽葺くなり浜庇。久しき国の例かや。
下歌「実に名を聞くも久堅の。其海人乙女数々の。手向草をさゝげん。
上歌「誰も実に。神に頼みをかけまくも。〳〵。忝しや此御子の。御母の名を聞くも。豊玉姫のいにしへ。げに心なき我等まで。海士の刈る藻の露程も。恵みになどかあはざらん。〳〵。
ワキ詞「いかに是なるかた〴〵に申すべき事の候。
シテ詞「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ「ふしぎやな是なる仮殿を見れば。鵜の羽にて葺き。今一方をば葺き残されて候ふは。何と申したる謂れにて候ふぞ。
シテ「実に〳〵御不審御理りにて候。鵜の羽にて葺きたる事に付きてめでたき謂れの候。委しく語つて聞かせ参らせ候ふべし。
ワキ「あらうれしやねんごろに御物語り候へ。
シテ「抑地神五代の御神をば。鵜の羽葺き合はせずの尊と申し奉る。其父の御神釣針を魚に取られ。龍宮まで尋ね行き給ひ。豊玉姫と契りをこめ。釣針に満干の珠を添へ取りて帰り給ふ。程なく豊玉姫御懐妊ありしかば。此磯辺に仮殿を作り。いまだ葺き合はせざるに尊生れさせ給ふにより。鵜の羽葺き合はせずのみことゝ申し奉る。されば其誕生の日も此秋の今日に当りたれば。嘉例にまかせて仮殿を作り鵜の羽にて葺き候ふなり。
ワキ「謂れを聞けば有りがたや。遠きためしも今こゝに。宮居もさぞな千早振る。
ツレ「神の御祓の政。すぐなる御代に跡垂れて。
ワキ「今も日を知る神祭り。
シテ「いそげや磯の浪に鳴く。
ワキ「千鳥もおのが翅そへて。
シテ「鵜の羽重ねて。
ワキ「葺くとかや。
地「浦風も松風も。〳〵。ひかたやはやち浪おろし。音を添へ声を立て。とぼそも軒も鵜の羽風。吹けや〳〵疾く吹け。吹くや心にかゝるは。花のあたりの山おろし。更くるまを惜しむや。まれにあふ夜なるらん。此まれにあふ夜なるらん。面白や是とても。実に世の中の品々。いかなれば陸奥には。鳥の羽を糸にして。衣を織るとかや。いかなれば此国は。鵜の羽葺くなり神の小屋の。恵み庇のあしかりや。世のふしを顕はすもや。神の誓なるらん。
ロンギ地「はや夕暮の秋の空。浪も散るなり白露の。玉をつらねて葺くとかや。
シテ「軒の雨。古き言の葉取り添へて。手向ぞまこと真鳥住む。うなでの杜の落葉を。拾ひ上げいざや葺かうよ。
地「拾ふ汐干のたま〳〵も。折を得たりと夕暮の。
シテ「月すでに出で汐の。影ながら葺かうよ。
地「かげもしげきの八重榊。葉色を添へて葺く程に。
シテ「重なる軒の忍草。
地「忘れたり葺きさして。
シテ「少しは残せ。
地「名を聞くも。葺き合はせずの。神の御仮屋。葺き残せ〳〵。しかも月の夜すがら。影諸共に我も出で。洩る影は天照らす。神代の秋の月を。いざやながめ明さん。
ワキ詞「鵜の羽葺き合はせずの謂れ委しく承り候ひぬ。さて干珠満珠の玉のありかは何くの程にて候ふぞ。
シテ詞「さん候玉のありかも有りげに候。誠は我は人間にあらず。暇申して帰るなり。
ワキ「そも人間にあらずとは。いかなる神の現化ぞと。袖をひかへて尋ぬれば。
シテ「終にはそれと白浪の。龍の都は豊かなる。玉の女と思ふべし。
ワキ「龍の都は龍宮の名。又豊かなる玉の女と聞けば豊玉姫かとよ。
シテ「あら恥かしや白玉か。
歌「何ぞと人の問ひし時。露と答へて消へなまし。なまじひに顕はれて。人の見る目恥かしや。隔てはあらじ蘆垣の。よし名を問はずと神までぞ。唯頼めとよ頼めとよ。玉姫は我なりと。海上に立つて失せにけり。〳〵。(中入)
ワキ歌「うれしきかなやいざさらば。〳〵。此松陰に旅居して。風もうそぶく寅の時。神の告をも待ちて見ん。〳〵。
後ジテ「八歳の龍女は宝珠を捧げて変成就し。我は潮の満干の瓊を捧げ。国の宝となすべきなり。南無や帰命本覚真如の玉。
地「或は不取正覚の台の玉。
シテ「または無量寿法界。円満神通の珠。
地「おの〳〵様々多けれど。山海増減のみちひの珠。実に妙なれやあら有難や。
地「干珠を海に沈むれば。〳〵。さすや潮も干潟となりて。寄せ来る浪も浦風に。吹きかへされて遠干潟。千里はさながら雪を敷いて。浜の真砂は平々たり。
シテ「さて又満珠を汐干に置けば。
地「さて又満珠を汐干におけば。音吹きかへて沖つ風。汐をも浪をも吹き立てゝ。平地に波瀾を立て寄せ立て寄せ。山も入海々をも山に。成す事やすき満干の珠。かほどに妙なる宝なれども。唯願はしきは聖人の。直なる心の真如の玉を。授け給へや授け給へと。願ひも深き海となつて。其まゝ浪にぞ入りにける。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第四輯』大和田建樹 著

 

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古事記 上巻 海神の国訪問

 

 火照命は、海の幸を授かつておいでになりました海幸彦であらせられたので、鰭の広い大きな魚や鰭の狭い小さな魚を御捕りになり、火遠理命は、山の幸を授かつておいでになりました山幸彦であらせられたので、毛の麤い大きな獣や、毛の柔かな小さな獣を御獲りになりました。或時、火遠理命が御兄の火照命に向つて、互に幸を取易へて、其の漁猟の道具を交換して使用つて見ようではありませんかと、三度も懇請なさいましたけれども、初めは火照命は御許諾になりませんでした。然し、たびたび御頼みになりましたので、後纔に御取易へなさいますことゝなりました。
 そこで、火遠理命は、海幸彦となつて、魚を御釣りになりましたが、一尾の魚も御釣りになることが出来なかつたのみならず、其の釣鉤までも海に失くしておしまひになりましたのであります。其のうちに、御兄の火照命が、其の釣鉤を返してくれと仰しやつて、「山幸も其の人自身に授かつた幸であり、海幸も其の人自身に授かつた幸である。其れ故、もう御互に自分の幸を元通りに取返すことに致さうではありませんか」と申されました。御弟の火遠理命は、「あなたの釣鉤は、魚を釣つて見ましたが、一尾も釣れないばかりか、海に失くしてしまひました」と仰しやいましたけれども、御兄火照命は、どうしても返してくれと厳しく御催促になりました。
 御弟の火遠理命は、佩いておいでになりました十拳剣を壊して、五百本の鉤を作つて弁償なさいましたけれども御受取りになりませんので、更に千本の鉤を作つて之を弁償なさいましたが、尚ほこれを御受取りになりませんで、是非とも元の鉤を返してくれと御言ひ張りになりました。
 そこで、弟命は浜辺に出て泣き悲しんでおいでになりますと、其処へ塩椎神が出て来て、「如何あそばしましたのですか、何で日の御子は御泣きなさいますのですか」と御尋ね申したので、「わたくしは、御兄様と釣鉤を取易へて、其の鉤を失くしてしまつたのです。御兄様が其の鉤を御催促なさいますので、わたくしは沢山の鉤を作つて之を弁償したけれども、御受取りにならないで、やはり元の鉤を返せと仰つしやるのです。それでわたくしは、泣き悲しんで居るのです」と火遠理命が仰せられました。
 其の時、塩椎神は、「わたくしは、貴方様の為めに好い工夫をして上げませう」と云つて、無目勝間の小船を造り、これに火遠理命を御乗せ申して、御教へ申すには、「わたくしが此の船を押し流しますから、暫くの間乗つておいでなさいまし。やがて好い潮路に出るでありませう。其の潮路に乗つておいでになりますと、魚鱗のやうに造つた宮室がありますが、其れが綿津見神の宮殿であります。其の宮の御門に御到著になりましたならば、其の傍の井泉の側に繁茂つた香木の樹が有りませうから、其の木の上においでになりますと、きつと其の海神の御女が貴方様を御見付け申して、好いやうに取計らつてくれるでありませう」と御教へ申し上げました。
 火遠理命は、塩椎神の教への通りに少しおいでになりましたが、ことごとく其の言うた通りでありましたので、やがて其の香木の樹に登つておいでになりました。すると、海神の御女の豊玉姫の侍女が出て来て、美しい碗を持つて水を汲まうとすると、井泉に人影が映つて居るので、上を見ると、立派な壮夫が其処に居るので、大層不審に思ひました。其の時、火遠理命は其の侍女を御覧になつて、「水を飲ましてください」と御頼みになりますと、侍女は、水を汲んで、美しい碗に入れてさし上げました。火遠理命は其の水は御飲みにならないで、御自分の御頸に懸けておいでになりました頸飾の玉をはづして、それを口に含んで、其の美しい碗の中に御吐き入れになりました。ところが、其の玉が碗にくつついてしまつて、どうしても取離すことが出来なかつたので、それで玉を附著けたまゝで侍女が之を豊玉毘売命に差上げました。
 豊玉毘売命は其の玉を御覧になりまして、「若しや門の外に人が居りはせんか」と侍女に御尋ねになりますと、「彼の井泉の傍の香木の樹の上に人がおいでになります。大層御立派な殿方でいらつしやいます。我が君様よりも立まさつて高貴に御見えになる御方でいらつしやいますが、其の御方が、水をくれと仰せられましたので、差上げましたところ、水は御飲みあそばしませんで、此の玉をば吐き入れなさいましたのでございます。其れがどうしても離れませんので、入れたまゝ持参いたして差上げましたのでございます」と申しました。そこで、豊玉毘売命は、不思議な事だと思し召して、御自身出て御覧になりましたが、なるほど御立派な御方だと御感じになりまして、互に目と目と御見交しになりましたが、やがて其の御父に、「門の処に立派な御方がいらつしやいます」と申し上げられました。
 そこで、海神は、御自身出て御覧になりまして、「あゝ此の御方は、天神の御子にまします日の御子であらせられる」と言つて、直ちに内へ御案内申し上げ、海鱸の皮の敷物を八重に敷き、更に絁の敷物をも八重に敷いて、其の上に御坐らせ申し上げ、数多の台に積み上げた沢山の御馳走を取揃へて御饗応申し上げて、其の女の豊玉毘売を御妃に差上げました。かくて、火遠理命は三年になるまで其の国に御住りになりました。
 さても、火遠理命は、初めの事を御想ひ出しになつて、或日大きな歎息をほつと為さいました。豊玉毘売命は其の歎息を御聞きになつて、其の父に、「今まで三年の間御住りになりましたけれども、いつも歎息など為さいますことが無かつたのに、今夜大きな歎息を為さいましたのは、若しや何かの理由が有るのではございますまいか」と申されましたところ、其の父の大神が、早速其の婿君の火遠理命に対つて、「今旦ほど女の申すのを聞きますと、これまで三年もおいでになりましたけれども、いつも歎息など為さいますことが無かつたのに、今夜大きな歎息を為さいましたと申しましたが、若しや何かの理由が御有りになりますのでございますか。して又、一体此地においでになりましたのは、どういふ御事情からでございますか」と御問ひ申しました。
 そこで、火遠理命は、其の大神に、彼の兄命が失くした釣鉤を御催促になつた事状を、詳しく御物語りになりましたのであります。海神は之を聴いて、やがて海中の大小の魚どもを悉く召集して、「若しや此の中に釣鉤を取つた者はないか」と尋ねられました。すると、多くの魚どもが申すのに、「この頃赤海鯽魚が喉に何か刺さつて物も食べることが出来ないと言つて悩んで居りますから、屹度彼が取つたのでございませう」と申しました。そこで、其の赤海鯽魚の喉を探つて見ると、果して釣鉤が有つたので、早速に之を取り出して好く洗ひ清めて、之を火遠理命に奉られましたが、其の時に、其の綿津見大神が火遠理命に御誨へ申し上げられましたのには、「此の釣鉤を御兄上に御返しになる時に、『此の鉤は、淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤よ』とかう呪言を唱へて、後手に御渡しなさい。而して御兄上が高い田を御作りになつたならば、あなたは低い田を御作りなさいまし。又御兄上が低い田を御作りになつたならば、あなたは高い田を御作りなさいまし。さうなつたならば、わたくしは水を掌つて居りますから、三年の間に、御兄上は必ず貧乏になつておしまひになりませう。若し又、さうされた事を恨怨に思つて攻めておいでになりましたならば、此の塩盈珠を出して溺らしてしまひ、若し御愁請なさいましたならば、此の塩乾珠を出して助けておやりになり、如此して御兄上を苦しめ懲しておやりなさい」と申して、塩盈珠と塩乾珠の二箇を御授け申して、やがて和邇魚どもを召し集めて、「今、天神の御子の日の御子が上国においでにならうとするのであるが、誰が幾日で御送り申して復命をするか」と御尋ねになりました。
 すると、和邇どもは、めいめい自分の身体の長さに随つて日限を定めて申しましたが、其の中で一尋の長さの和邇が、「わたくしは一日で御送りして帰つて参りませう」と申しました。そこで、其の一尋和邇に「それでは御前が御送り申し上げよ。海中を渡る時に、少しでも恐ろしい思ひをおさせ申してはならぬぞ」と言ひ渡して、やがて其の和邇の頸に御載せ申して送り出し奉りました。而して、言うた通りに一日の内に御送り申し上げたのであります。其の和邇が帰らうとした時に、火遠理命は佩いておいでになりました紐小刀を御解きになつて、これを和邇の頸に結ひ附けて御返しになりました。仍つて其の一尋和邇を、今でも佐比持神と申すのであります。
 かくて、火遠理命は、一々海神の御教へ申した通りにして、彼の釣鉤を御返しになりましたが、其の後兄命がだんだん貧しくなつて、一層に荒々しい気持になられたので、火遠理命を攻めて来られました。ところが、攻めて来ようとせられると塩盈珠を出して溺れさせ、困窮つて助けを求められると塩乾珠を出して助け救ひ、如此して苦しめ懲らしめなさいますと、遂に兄命は頭首を下げて、「わたくしは、今から後は、あなた様の夜昼の守護人となつて御仕へ申し上げませう」と申されました。それで、今に至るまで其の子孫の人々が、火照命の水に溺れられた時の種々の様態をして、代々御仕へ致して居るのであります。

 

 

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古事記 上巻 鵜葺草葺不合命の誕生

 

 其の後、海神の御女豊玉毘売命が御自身火遠理命の御許に参上して申されるのに、「わたくしは既に身重になつて居りましたが、もはや御産をする時になりました。考へて見まするに、天神の御子を海原の国にて御産み申すべきではありません。其れ故参上致しました」と申し上げられました。そこで、早速に其の海辺の波打際に産殿を御造りになり、鵜の羽を屋根に葺くことゝせられました。ところが、其の産殿の屋根を葺き終らないうちに、御腹の御痛みが堪へきれなく御なりになつたので、其の産殿に御入りになりました。
 いよいよ御産みにならうとする時に、豊玉姫命は其の夫の命に申されますのに、「総べて他の国の人は、御産をする時になりますと、其の本国の形姿に成つて御産をするものでございます。其れ故わたくしも生れた本国の形姿に成つて産みたいと思ひますから、どうぞわたくしの様子を御覧遊ばされないやうにして頂きたうございます」と申されたのであります。火遠理命は其の言葉を不審に思し召して、御産の真最中に、そつと隙見をして覗いて御覧になりましたところが、意外にも、八尋もある和邇の恰好をして、匍匐ひ動ごめいておいでになりましたので、之を見て驚き且つ恐れて、遁げ出しておしまひになりましたのであります。
 豊玉姫命は、其の覗き見られたことを御知りになりまして、いかにも心恥しく思し召され、やがて其の御子を産み置いて、「わたくしは行くすゑ永く海の通路を往来して御目にかゝらうと思つて居りましたのに、わたくしの形姿を覗見遊ばしたのは、如何にも恥しいことでございます」と仰つしやつて、海神の国との堺をせき塞いで、海神の国へ帰つておしまひになりました。それで、其の御生れになりました御子の御名を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と申すのであります。
 けれども、其の後、豊玉毘売命は、あのやうに覗見をなさいました御情を御怨みは申し上げながらも、なほ恋しさ懐しさに堪へられずして、御子を御養育申し上げる為めにといふので、其の御妹の玉依毘売命を御遣しになつて、次のやうな御歌を御言伝けになりました。其の御歌は、

赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装ひし 貴くありけり。
〔赤玉のやうな美しい御子は、其れを貫きつないでゐる緒さへ光る程に美しくはあらせられるけれども、其れにも増して、白玉のやうな我が君さまの御容儀は、更に気高く貴く仰がれましたよ。さてもなつかしき我が君さま。〕

 そこで、夫の君の御答へになりました御歌は、

沖つ鳥 鴨どく島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに。
〔澳に遊ぶ水鳥の鴨が著く彼の遠い海の中の島で、一しよにわたくしが寝たあなたの事をば、どうして忘れることが出来ませうか。世の有る限り、一生涯忘れることは出来ませぬ。〕

 此の日子穂穂手見命は、高千穂宮に五百八十年御坐しました。そして其の御陵は、高千穂の山の西方に在ります。

 

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