大河下
シテ 河伯 ワキ 瀬波の領主勝間某 ワキツレ 里人 トモ 勝間の臣 所 周防瀬波川 ワキ「是は周防の国の住人。勝間の何某にて候。扨も此国と申は。海浦の浪風あらふして。沙多く打揚磯山と成て。其後は浦風もたゝず候。去ば往昔は沿防と申候を。今は周防と改め候。又爰に瀬波川と申て大河の候。いつも大雨の折ふし水かさまさり。田畠損亡により。万民のなげき不便に存候間。土民共に申付瀬波川を切下し。海へ落し。耕作豊かになさばやと存候。いかに誰か有。(シカ〴〵) ワキ「皆々国中の者に瀬波川へ出よと申付候へ。 トモ「畏て候。 ツレ、二人「扨も領主の御ふれとて。国中の面々仰に随ひ。上六十下八十五を限つて。鉏鍬やうの器物を手々に引さげ。我も〳〵と瀬波川にこそ出にけれ。 歌「是はひとへに農業の。〳〵。豊かにありてたなつもの。みのりの為ときくなれば。諫みをなして出にけり。〳〵。 シテ「喃々あれ成人々。何とて其堤をば切おとし給ふぞ。 ワキ「さん候。此瀬波川の。海へも他国へも落ず。たゞ国を廻り。大雨の折ふしは水まさり。農事の障と成候故。此堤を切。海へ水を落し候。 シテ「尤仰はさる事なれ共。昔より此河を他国へ落す事もなきに。今あらたに落さんとは。心得がたきいひ事哉。 ワキ「不思議やな。見れば童子の姿にて。堤を切をあらそひいなむ。 詞「そも汝はいかなる者ぞ。 シテ「今は何をかつゝむべき。我は此川に年経て住る河伯士也。我独りのみに非ず。門葉広く数多眷属あり。代々を重て爰に住り。我いふ事を用ひずして。堤をはなし水を落さば。人民にたゝりて命を取べし。かまへて堤を切開き。後悔すなと気色をかへ。 同「さもみやびたる童形の。〳〵。其様はやく変じつゝ。面さながら沙丹塗の。軒の瓦の鬼と成。あたりを払ひ冷じき姿と成て。其儘河浪に入にけり。河瀬の波に入にけり。(中入) ワキ「ふしぎや今の童形。顔色かはり鬼神と成て。堤を制する有様也。然れ共かれは異形のなす業。殊に河伯が事なれば。何程の事か有べきなれども。若も此事さはりとならば。万民の悲しみも不便に候へば。当国一の宮玉祖の神に。祈誓かけばやと存候。勝間の何某。急ぎ神前に参り膝まづき。幣とりあへず逆手をうつて頓首し。仰ぎ願はくば。此度瀬波河の水を難なく切くださしめ。国の農業を安穏に守らせ給へ。寸善尺魔の河伯がたゝりを。他方へ退けおはしませと。丹誠をこらす。南無帰命頂礼玉祖の神。 里人カヽル「斯て時刻も移るとて。国中の諸民数百人。鉏鍬大籠石どうつき。思ひ〳〵に用意して。曳声を出して瀬波川の。堤を切て水をくだす。実おびただしき有様かな。 同「あれ〳〵見よや瀬波川の。〳〵。水上に河霧立くらがつて。渦浪をめぐらす其内より。化したる者のあまた顕れ。堤のあたりを取かこみ。いかれる姿に肝をけし。鉏鍬器物をなげ捨て。皆ちり〴〵に逃さりけり。 同「かゝりければふしぎやな。佐波の府中の玉祖の。社頭の方より白雲立て。神火飛ちり神通の鏑の音冷じく。瀬波川の堤の方へぞ飛行する。 シテ「其時河伯が眷属共。 同「其時河伯が眷属共。此神祟に恐れをなして。衆類を引つれ他方をさして退散すれば。人歩は悦び農具を以て。難なく堤を切ひらき。瀬波の大河を切くだし。耕作豊かに久堅の。天の玉祖威光を現じ。善哉々々と詔命して上らせ給へば。いよ〳〵国民にぎわひて。〳〵。栄ふる御代とぞ成にけり。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『宴曲十七帖 謡曲末百番』国書刊行会 編