葛城 古名 雪葛城
世阿弥作 前 ワキ 羽黒山の山伏 シテ 里女 後 ワキ 前に同じ シテ 葛城の神 地は 大和 季は 冬 ワキ次第「神の昔の跡とめて。〳〵。かづらき山に参らん。 詞「是は出羽の羽黒山より出でたる山伏にて候。我此度大峰葛城に参らばやと存じ候。 道行「篠懸の。袖の朝霜起き伏しの。〳〵。岩根の枕松が根の。やどりもしげき嶺つゞき。山又山を分けこえて。ゆけば程なく大和路や。葛城山につきにけり。〳〵。 詞「いそぎ候ふ間。ほどなく葛城山に着きて候。あら笑止や。また雪のふり来りて候。これなる木陰に立ちよらばやと思ひ候。 シテ詞「なふ〳〵あれなる山伏は何方へ御通り候ふぞ。 ワキ詞「此方の事にて候ふか。御身はいかなる人やらん。 シテ「是は此葛城山に住む女にて候。柴採る道のかへるさに。踏み馴れたる通路をさへ。雪のふゞきにかきくれて。家路もさだかにわきまへぬに。ましてや知らぬ旅人の。末いづくにか雪の山路に。迷ひ給ふはいたはしや。見苦しく候へども。わらはが庵にて一夜を御あかし候へ。 ワキ「うれしくも仰せ候ふ物かな。今にはじめぬ此山の度々峰入して。通ひなれたる山路なれども。今の雪吹に前後を忘じて候ふに。御志ありがたうこそ候へ。さて御宿りはいづくぞや。 シテ「此岨づたひのあなたなる。谷の下庵みぐるしくとも。程ふる雪の晴間まで。御身をやすめ給ふべし。 ワキ「さらば御供申さんと。夕べの山の常陰より。 シテ「さらでも嶮しき岨づたひを。 ワキ「道しるべする山人の。 シテ「笠はおもし呉山の雪。 二人「靴は香ばし楚地の花。 地「肩上の笠には。〳〵。無影の月をかたぶけ。担頭の柴には。不香の花を手折りつゝ。帰る姿や山人の。笠も薪も埋もれて。雪こそくだれ谷の道を。たどり〳〵帰りきて。柴のいほりに着きにけり。〳〵。 ワキ詞「あらうれしや候。今の雪に前後を忘じて候ふ処に。こよひの御宿かへす〴〵も有りがたうこそ候へ。 シテ詞「あまりに夜寒に候ふ程に。是なるしもとを解きみだし。火に焼きてあて参らせ候ふべし。 ワキ「あらおもしろやしもとゝは此木の名にて候ふか。 シテ「うたてやな此葛城山の雪の内に。結ひあつめたる木々の梢を。しもとゝ知ろしめされぬは御心なきやうにこそ候へ。 ワキ「あらおもしろやさては此。しもとゝ言ふ木は葛城山に。由緒ある木にて候ふよなふ。 シテ「申すにや及ぶ古き歌の言葉ぞかし。しもとを結ひたる葛なるを。此葛城山の名に寄せたり。是れ大和舞の歌といへり。 ワキ「げに〳〵ふるき大和舞の。歌の昔を思ひでの。 シテ「をりから雪も。 ワキ「降るものを。 地「しもとゆふ。葛城山にふる雪は。〳〵。間なく時なく。おもほゆるかなとよむ歌の。言の葉そへて大和舞の。袖の雪も古き世の。よそにのみ。見し白雲や高間山の。嶺の柴屋の夕煙。松が枝そへて焼かうよ。〳〵。 クセ「葛城や。木の間にひかる稲妻は。山伏の打つ火かとこそ見れ。実にや世の中は。電光朝露石の火の。ひかりの間ぞと思へたゞ。わが身のなげきをも。取り添へて。思ひ真柴を焼かうよ。 シテ「捨人の。苔の衣の色ふかく。 地「法にこゝろは墨染の。袖もさながら白妙の。雪にや色をそみかくたの。篠懸もさえまさる。しもとをあつめ柴をたき。寒風をふせぐ葛城の。山伏の名にし負ふ。かたしく袖の枕して。身を休め給へや。御身を休め給へや。 ワキ詞「あらうれしや篠懸を乾して候ふぞや。いそぎ後夜の勤めをはじめばやとおもひ候。 シテ詞「御勤めとは有難や。我に悩める心あり。御つとめのついでに祈り加持して賜はり候へ。 ワキ「そも御身に悩む事ありとは。何といひたる事やらん。 シテ「さなきだに女は五障の罪ふかきに。法のとがめの咒詛を負ひ。此山の名にしおふ。蔦かづらにて身を戒めて。猶三熱のくるしみあり。此身を助けてたび給へ。 ワキ「そも神ならで三熱の。くるしみといふ事あるべきか。 シテ「はづかしながら古への。法の岩橋かけざりし。其とがめとて明王の。さつくにて身をいましめて。今に苦しみ絶えぬ身なり。 ワキ「是はふしぎの御事かな。さては昔の葛城の。神の苦しみ尽きがたき。 シテ「石は一つの神体として。 ワキ「蔦かづらのみかゝる巌の。 シテ「撫づとも尽きじ葛の葉。 ワキ「はひ広ごりて。 シテ「露に置かれ。 二人「霜に責められ起き伏しの。立居もおもき岩戸のうち。 地「明くるわびしきかづらきの。神に五衰のくるしみあり。祈り加持してたび給へと。岩橋のすゑ絶えて。神がくれにぞなりにける。〳〵。(中入) ワキ歌「岩橋の。苔の衣の袖そへて。〳〵。法の莚のとことはに。法味をなして夜もすがら。彼葛城の神ごゝろ。夜の行ひ声すみて。一心敬礼。 後ジテ「われ葛城の夜もすがら。和光の影にあらはれて。五衰の眠を無上正覚の月にさまし。法性真如の宝の山に。法味に引かれて来りたり。よく〳〵勤めおはしませ。 ワキ「ふしぎやな峨々たる山の常陰より。女体の神とおぼしくて。玉のかんざし玉かづらの。なほ懸けそへて蔦かづらの。はひまとはるゝ小忌衣。 シテ「これ見たまへや明王の。さつくは斯かる身をいましめて。 ワキ「なほ三熱の神ごゝろ。 シテ「年経る雪や。 ワキ「しもとゆふ。 地「葛城山の岩橋の。夜なれど月雪の。さもいちじるき神体の。みぐるしき顔ばせの。神姿ははづかしや。よしや吉野の山かづら。かけて通へや岩橋の。高天の原は是なれや。神楽歌はじめて。大和舞いざやかなでん。 シテ「ふる雪の。しもと木綿花の白和幣。(序の舞) 地「高天の原の岩戸の舞。〳〵。天のかぐ山も向ひに見えたり。月しろく雪しろく。いづれも白妙のけしきなれども。名に負ふかづらきの。神の顔がたち。面なやおもはゆや。恥かしやあさましや。朝間にもなりぬべし。あけぬ先にとかづらきの。〳〵。夜の岩戸にぞ入り給ふ。岩戸のうちに入りたまふ。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第二輯』大和田建樹 著