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烏羽

ワキ 官人
シテ 王辰爾

地は 大和
季は 雑

ワキ詞「是は敏達天皇に仕へ奉る臣下なり。さても今度唐より。烏羽に書き表文を送る。是は日本の智恵を量らんが為めなり。返答なくては叶ふまじとて。群臣の中へ勅定あり。此烏羽の表文読みたらん者に。官位俸禄あるべきとの御事なり。今日三日立ち候へども。誰あつて是を読まんといふ者なし。今日も記録所に相越え。此事奏する人を相待たばやと存じ候。
シテ一声「世の中に。君なかりせば烏羽に。書ける言の葉猶きえなまし。
サシ「是は王辰爾といへる者なり。
詞「さても唐より表文を送る。其詞を烏羽に書き。是れ日本の智恵を見んためとなり。それ我朝は。粟散遍地の小国とは申しながら神国なり。何ぞ唐の者に智恵を量られんや。此事奏せんために唯今参内仕り候。如何に奏聞申し候。
ワキ「奏聞とは如何なる者ぞ。
シテ「是は王辰爾と申す者にて候。今度烏羽の表文読むべきやう案じ出だし候ふ間。即ち参内申して候。
ワキ「是はめでたき御事かな。先づ紫宸殿の御庭に伺候申し候へ。
ワキカヽル「此由申し上げゝれば。帝喜びおはしまし。既に玉座に着き給へば。
シテ「百官卿相冠を傾け。
ワキ「心耳を澄まし奏覧の。
シテ「詞を洩れじと事を静む。
地「王辰申し上げゝるは。〳〵。別に子細も候はず。此烏羽を火焼屋の。蒸籠にならべて。蒸し立てゝ帛に移しなば。文字は帛に移るべしと。奏すれば実にもとて。詞の如く蒸し立て。白き帛にうつせば。墨はあざやかにうつりて。文のつゞき文字のならび。直に書きたる如くなり。やがて返状認め。唐に送り給ふにぞ。我朝の智恵の程。あなどるべきにあらずやと。此後日の本を。貴みけるぞめでたき。
ワキ「如何に王辰爾。かやうの事に付けても。汝博学なる事を感じ思し召し。即ち有職の司たるべし。又年さかんに上根の仁を撰み。学文を致させ候へ。
シテ「畏つて候。げに伝へ聞く高適は。五十にして始めて詩を学んで少陵に誉められ。蘇老泉三十にして始めて学んで文章の名を得る。されば師広が教にも。若うして学ぶは朝に行くがごとし。中年にして学ぶは日中に行くがごとし。老いて学するは夜行くがごとし。とかくに学ばぬには勝れりと言へり。玉磨かざれば光なし。上に学を好み給はゞ。下として愚かならんや。是れはめでたき宣旨にて候。
ワキ「往昔より此秋津洲の智恵を。余国より量りたる事委しく物語り候へ。
クリ地「夫れ我朝は小国なれども。天照神の御末にて。百王百代変る事なく。余国の愚なる心を以て。此日の本をはからんとは。管を以て天をうかゞひ。蠡を以て海をはかり。藺を以て鐘をつくに等し。
サシ「小智は余国を卑しんで。我国を貴しと思ふとかや。
地「あるひは七曲の玉を渡し。糸を貫く事をはかり。白木の本末を尋ね。詩人を渡し兵を催し。たび〳〵和朝をはかるといへども。終に其利を得る事なし。
クセ「又此度。烏羽の表文。是れ日の本の吉事なり。如何にといふに上る世の。八咫の烏の賢鳥の。其徳高く聞えにき。九日の烏玉は。国土を守る光りなり。其上此鳥は。熊野権現の使者として。憂悦を知らすとかや。それ唐の燕丹は。敵王に捕はれ。故郷の母を恋ひ。来て見ゆべきと望めば。敵王笑ひ嘲り。燕丹を帰さんは。烏の頭白くなり。駒に角の生ひん時。帰さんと戯ぶるゝ。燕丹天に祈るにぞ。忽に烏の頭白くして。庭上に来るにぞ。綸言汗の如くして。二度国に帰すとか。
シテ「此心をば大和歌に。
地「山烏頭も白くなりにけり。我帰るべき時や来にけん。又おもしろの世やと詠じ。やさしき譬へ有明の。月夜烏の浮れ声。恋の心に寄歌の。
シテ「烏てふ。大をそ鳥の心もて。
地「うつし人とは何名乗るらん。是を見かれを聞く時は。是とても蘆原の。よしや目出度き例なり。
ワキ詞「げに〳〵祝し申せしかな。即ち大御酒賜はれば。一ついたゞき一指舞ひ。目出度く退出申し候へ。
シテ「烏羽に。かく水茎の文字みれば。
地「万代尽きぬしるしかな。(舞)
ワカ「治まれる。世に住む者は隔なく。
地「酒汲みかはす。友烏々々。あら面白や。
地「春は花さく梢を尋ねて。
シテ「恋の奴の浮れ烏。
地「夏は涼しき。
シテ「森の小烏。
地「秋は更けゆく空を詠めて。
シテ「月夜烏の声も淋しく。
地「冬はつもれる深山烏の。雪にまぎれぬ濡烏なりけり。それは流れの川烏里烏。烏羽玉の夜もしら〳〵と。四方に告げ渡る。夜明烏の言の葉も。是れ日の本の日の烏。曇らぬ御代こそ久しけれ。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第三輯』大和田建樹 著

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