序文

     

     

 

 

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 吉田本には、内容が八篇の謡を収めて居るものであるからとの理由で、金島といふ標題となつて居るが、此の書の内題に金島とあるに従つて、やはり金島書と呼ぶが良いと思ふ。佐渡を「こがねの島」と称する事から、この名称が附せられたのであつて、奥書の「これを見ん残すこがねの島ちどり跡も朽ちせぬ世々のしるしに」といふ歌が、此書の成立動機を物語つて居る。即ち世阿弥はこの八篇の謡を集めて、佐渡流謫の身の形見として、何人かに送つたものと思はれる。

 世阿弥が七十余歳の高齢で、流罪に処せられたといふ事は、誠に我々の心をさへも傷ましめる悲痛な事件であるが、其の理由は全く不明である。本書「配処」の曲に「げにや罪なくて、配処の月を見る事は、古人の望なるものを、身にも心のあるやらん、、、、、、、、、、」と述懐の心を洩らして居る点から考へても、彼に流罪に相当するほどの重い罪科は無かつた事が考へられるし、又、世上流布の伝説――世阿が女婿禅竹を偏愛して、我子を愛しなかつた故に、将軍の忌諱にふれたとする説――にしても、遠島に処せられるべきほどの事柄でもない。全く残忍苛酷な将軍義教の一時の怒にまかせた迫害と見るべきものであらう。

 本書によつて世阿弥の動静を見ると、彼は永享六年五月四日に都を出て、次の日に若狭の小浜に着いて居る。これは恐らく琵琶湖を舟で北近江に着し、そこから陸路小浜に到つたものであらう。他の路では二日で小浜に着くことは困難である。そこで順風を待ち、海路一すぢに佐渡に向つた。海上から加賀の白山を遠望し、能登の七島・珠州の崎の海辺を通り、越中の立山・礪波山をそれぞとばかり眺めて、五月下旬に到つて、佐渡の多田の浦に到着して居る。其翌日は多田を発し、笠借峠を経、長谷の観音を拝し、雑太郡の新保に着して、ここで護送の役人から佐渡の国守の代官に身柄が引き渡され、代官は彼を満福寺といふ小院に宿せしめた。蓋しここが、流人配処と定められたのである。

 新保に落ついた世阿弥は、八幡の方へ参詣して、大納言為兼の配処の旧跡を訪らひ、時鳥の鳴かぬ謂れを聞いて故郷を思ひ、西方の山麓の泉を見やつては、そこが順徳院の黒木の御所のあつた所だと聞いて、承久の古を思ひ、院の御運をいたはしく思ひ申し上げてゐる。その中に、佐渡の国内に合戦が始まり、新保の地が其の巷となつた為に、泉に居をかへた。そこで秋冬を送つて、永享七年の春を迎へたのである。この泉の地に於ては、彼は十社の神に参詣して、法楽の謡を作り手向け、又、所の古老に逢つて、佐渡の国の神秘を尋ね聞いて、北山といふ曲舞を作つた。当時の神道説による佐渡の国の縁起を述べ、さうした霊地に身を置くことも他生の縁によるものであらうと謡つて居る。

 以上は、若州・海路・配処・時鳥・泉・十社・北山の七篇の謡に見える所であるが、最後に一篇、興福寺の薪猿楽を称へた謡を加へて居る。奥書に永享八年二月と記されて居るから、この一篇は、永享八年の二月に、遥かに南都興福寺に於て二月に執行せられる薪能を想ひやつて、作つたものであらう。そして、前の七篇の佐渡の謡にこれを添へ、「これを見ん残すこがねの島ちどり跡もくちせぬ世々のしるしに」の詠を加へて、何人かに贈つたものであらうと思ふ。

 世阿弥が何時配流の罪を許されたか、又、何時帰京したかに関しても確実な史料は無い。ただ花鏡を、永享九年八月に金春禅竹に附与したらしい消息が、同書の奥書によつて知られる事からして、永享九年の秋には大和に帰つて居たであらうと想像せられるのみである。伝説上では、四座役者目録に「公方之御意ニ違、佐渡ノ国ヘ配流セラレ、被居ル中ニ七番謡ヲ作ル。上方ヘウツシ来リ、世人ニ流布ス。忝モ帝王ノ御目ニ掛リ、七番ノ中、取分キ定家かつら謡ノ作リ様御感被成、佐渡ニ有ハ不便ナルトテ、公方ヘ急ギ呼返サレヨト勅定ニヨリ、佐渡ヨリ帰リタル人也」といふ伝説を載せて居る。

 此書は能楽の秘書とは性質を異にしたものであるから、語釈だけを加へて、評語は省略する事とする。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『世阿弥十六部集評釈 下巻』能勢朝次 著

 

 

               

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