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呉服

世阿弥作


ワキ 官人
ワキヅレ 随行者
シテ 里女
ツレ 同


ワキ 前に同じ
ワキヅレ 前に同じ
シテ 呉織

ワキ次第「道の道たる時とてや。〳〵。国々ゆたかなるらん。
詞「そも〳〵是は当今に仕へ奉る臣下なり。我此間は摂州住吉に参詣申して候。又是より浦づたひし。西の宮にまゐらばやと存じ候。
道行「住の江や。のどけき浪の朝香潟。〳〵。玉藻刈るなる海士人の。道もすぐなる難波がた。ゆくへの浦も名を得たる。呉服の里に着きにけり。〳〵。
シテ、ツレ一声「くれはとり。綾の衣の浦里に。年経て住むや海士乙女。
ツレ「立ちよる浪も白糸の。
二人「機織り添ふる音しげし。
シテサシ「是は津の国呉服の里に。住みて久しき二人の者。
二人「我此国にありながら。身は唐の名にしおふ。女工の昔をおもひいづる。月の入るさや西の海。波路はるかに来し方の。身は唐人の年を経て。こゝに呉服の里までも。身に知られたる名所かな。
下歌「是もかしこき御代のため。送り迎へし機物の。
上歌「大和にも。織る唐きぬの営みを。〳〵。今しきしまの道かけて。言の葉草の花までも。あらはしぎぬの色そへて。心をくだく紫の。袖も妙なるかざしかな。〳〵。
ワキ詞「さても我此松原に来て見れば。やごとなき女性二人あり。一人は機を織り。今一人は糸を取り引き。たがひに常の里人とは見え給はず。そも方々はいかなる人ぞ。
二人「はづかしや里ばなれなる松陰の。うしほも曇る夕月の。影にまぎれて浦波の。声にたぐへて機物の。音きこえじと思ひしに。知られけるかや恥かしや。
ワキ「何をか包み給ふらん。其身は常の里人ならで。此松陰に隠れ居て。機織り給ふは不審なり。いかさま名のり給ふべし。
シテ詞「これは応神天皇の御宇に。めでたき御衣を織りそめし。くれはとりあやはとりと申しゝ二人の者。今又めでたき御代なれば。現にあらはれ来りたり。
ワキ「不思議の事を聞くものかな。それは昔の君が代に。唐国よりも渡されし。綾織二人の人なるが。今現在にあらはれ給ふは。何といひたる事やらん。
シテ「はやくも心得給ふものかな。まづ此里を呉服の里と名づけそめしも何故ぞ。我此所にありし故なり。
ツレ「又あやはとりとは機物の。糸を取り引く工ゆゑ綾の紋をもなす故に。あやはとりとは申すなり。
シテ「くれはとりとは機物の。糸引く木をばくれはと云へば。呉服取る手によそへつゝ。くれはとりとは申すなり。
ツレ「されば二人の名によせて。
シテ「くれはとり。
ツレ「あやとは申し伝へたり。
二人「然ればわれらは唐人なれば。やまと詞は知らねども。
シテ「くれはとりあやに恋しくありしかば。二村山とよみし歌も。ふたりを思ふ心なり。
地「くれはとり。怪しめ給ふ旅人の。〳〵。御目の程はさすがげに。名にしおふ都人の。所から唐人と。われらを御覧ぜらるゝは。実にかしこしや善き君に。仕ふる人かありがたや。〳〵。
地クリ「それ綾と云つぱ。もろこし呉郡の地より織りそめて。女工の長き営みなり。
シテ「しかるに神功皇后。三韓をしたがへ給ひしより。
地「和国異朝の道ひろく。人の国まで靡く世の。我日の本はのどかなる。御代の光りはあまねくて。国富み民ゆたかなり。
シテ「東南雲をさまりて。
地「西北に風静かなり。
クセ「応神天皇の御宇かとよ。呉国の勅使此国に。はじめて来り給ひしに。綾女糸女の女婦を添へ。万里の滄波を凌ぎ来て。西日影のこりなく。呉服の里に休らひ。連日に立つる機物の。錦を折々の。綾の御衣を奉る。勅使奏覧ありしかば。叡感殊に甚し。それより名づけつゝ。衮龍の御衣の紋。いとなみも名たかき。山鳩色を移しつゝ。けしきだつなり雲鳥の。羽ぶさをたゝむ綾となす。いともかしこかりけり。
シテ「しかれば万代に。絶えせぬ御調なるべしと。
地「御定めありしより。呉服の文字をやはらげて。くれはとりあやはとりと。名づけさせ給へば。年を迎へて色をなす。綾の錦の唐衣。かへす〴〵も君が袖。古きためしを引く糸の。斯かる御代ぞめでたき。
ロンギ地「これにつけても此君の。〳〵。めでたきためし有明の。夜すがら機を織り給へ。
シテ、ツレ「いざ〳〵さらば機物の。錦を織りて我君の。御調に備へ申さん。
地「げにや御調の数々に。錦の色は。
二人「小車の。
地「丑三つの時過ぎ。暁の空を待ち給へ。姿をかへて来らん。さらばといひてくれはとり。あやはとりは帰れども。鶏はまだ鳴かずや。夜長なりと待ち給へ。夜ながくとても待ち給へ。(中入)
ワキ歌「うれしきかなやいざゝらば。〳〵。此松陰に旅居して。風も嘯く寅の時。神の告をも待ちて見ん。〳〵。
後ジテ「君が代は天の羽衣まれにきて。撫づとも尽きぬ巌ならなん。千代に八千代を松の葉の。散り失せずして色は猶。正木のかづら長き代の。ためしに引くや綾の紋。曇らざりける時とかや。
地「此君の。かしこき世ぞと夕浪に。声立て添ふる機の音。
シテ「錦を織る機物の内に。相思の字をあらはし。衣うつ砧の上に怨別の声。松の風。又は磯うつ浪の音。
地「しきりにひまなき機物の。
シテ「取るや呉服の手繰の糸。
地「我取るはあやは。
シテ「蹈木の足音。
地「きりはたりちやう。
シテ「きりはたりちやうちやうと。
地「悪魔も恐るゝ声なれや。げに織姫のかざしの袖。(舞)
地「思ひ出でたり七夕の。〳〵。たま〳〵逢へる旅人の。夢の精霊妙幢菩薩も。影向なりたる夜もすがら。夜もすがら。宝の綾を織り立て織り立て。我君に捧物。御代のためしの二人の織姫。呉服あやはのとり〴〵に。くれはあやはのとり〴〵の御調物。そなふる御代こそめでたけれ。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第五輯』大和田建樹 著

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