現在善知鳥
シテ 猟師 ワキ 卒都浜領主 トモ 従者 所 陸奥卒都浜 ワキ詞「加様に候者は。みちのくそとの浜の領主何某にて候。扨も我毎年此所にて鷹狩し心を慰み候。当年も又狩を催す処に。物数不足にて思ひの儘ならず候。あまり本意なく候へば。出てからばやと存候。 歌「箸鷹の塒定めぬ松島や。〳〵。小島の蜑の塩衣。袖の渡りに波寄て。蘆の村立音たかき。風にや鳥の噪ぐらん。〳〵。 ワキ詞「いかに誰か有。 トモ「御前に候。 ワキ「同勢の内に声高く聞え候ば。若能鳥取て有か聞候へ。 トモ「畏て候。(シカ〴〵) トモ「承候へば。吉澤殿より上られ候御秘蔵の御鷹をそらし申たると申候。 ワキ「扨鷹匠共は何としたるぞ。 トモ「向ひの山越に鈴の音聞え候間大勢参候が。今に居上候共申来らず候。 ワキ「言語道断。いつに替り当年は。鷹狩思ひの儘ならず候に。今日は又秘蔵の鷹を失ひ。何とすべき共わきまへず候。かく長居してせんなし。はや帰らふずるにて有ぞ。鷹の事をば随分申付候へ。 トモ「畏て候。御立腹御尤にて候。今日は御慰御座なく候間。此山陰を向へ御越なされ。沢伝ひに御帰。景をも御覧有て然べう候。 ワキ「さらば向へ渡らふずるにて候。 シテ、一声「面白やそとの浜成呼子鳥。声にやさそふ心哉。 サシ「浅ましやなす事なくて徒に。殺生を経営。頭には霜を戴き。四海の波身に打よれども。さらに後世を弁ず。何方の山此方の沢に。邪見の杖に簑笠。科なき鳥を追立〳〵。流し網さし縄に。懸れる鳥の数々も。来世の責の恐ろしさよ。遁るまじきは報ひかな。 詞「よしなき事を思ひて候。鳥をおゝふずるにて候。又是へ人の余多見えて候。喃喃旁々は何方へ御通り候ぞ。 ワキ「是は年々向ひの山を鷹狩する者なり。けふは秘蔵の鷹を失ひ。心よからず帰る者也。扨汝は如何成ものぞ。 シテ「是は此そとの浜の猟師にて候が。若年より殺生を好み。鳥取世を渡る者にて候。 ワキ「扨は幸成事なり。汝が殺生の手立を見せ候へ。 シテ「さらば鳥取つて御目にかけ候べし。去ながら。 カヽル「頭に雪の積るまで。かゝるしわざは愧しや。 ワキ「あら愚や老とても。今の楽しみ有なれば。来世も何か苦しみあらん。 シテ「さて出立し我が姿。簑は解脱の衣にて。 ワキ「柱杖を表す竹の杖。 シテ「笠は八葉蓮花なれば。 ワキ「濁りにしまぬ。 シテ「水鳥を。 同「追廻し〳〵て。隙なく鳥を取時は。罪も酬ひも後の世も。忘れ果て面白や。老のおもひ出成らん。未来はとにもかくにも。 クセ「先春は長閑にて。鳴音妙成鶯の。声に雪消し跡にやそだつ村鳥。夏の空は一入唯声ゆかし時鳥。心有人々の。うちぞ床敷そとの浜。外面の雨濡々し。早乙女の帰るさに。笘やたゝくはくひなか。 シテ「秋は元来雁金の。 同「雲井に渡れる空もあり。又水に宿るは。おしかもめさぎすら。鴫立沢は余所にだに。ありとは聞ど所がら。名取の川やなこその関。冬川に成までも。千鳥やよるらん。いざいざ取りて参らせん。 ワキ詞「近比面白き者に参逢て候もの哉。急いで鳥を取候へ。 シテ、カヽル「あれ〳〵御覧候へや。おもはぬかたに集る鳥の。跡をしたひて能みれば。 同「はかなや此鳥の。〳〵。木々の梢に波の浮すかけ。又は平砂に子を生かくせる。あかたの鳥の。うとふと呼れて答ふるぞや。 シテ「うとふ。(カケリ) 同「簑笠杖を押取持て。〳〵。爰やかしこの草村深山。木々の梢に巣をくふ鳥ならば。げに松島に多かるらん。 シテ「是々み給へ人々よ。 同「是々み給へ人々よ。老の振舞はづかしながら。稀人に慰みの殺生の有様。是までなれや。御暇申と立帰れば。狩人名残を惜み給ひ。見送り帰らせ給ひければ。 シテ「我は其時去にても。〳〵。 同「今日の殺生面白や。身にも応ぜぬ老のわざながら。若年の比よりかく殺生の罪は怖しや。然りとはいへども。一日の栄花ぞ老のおもひ出。けふの狩場を今陸奥の。けふの細布胸逢がたき。簑笠着てこそ帰りけれ。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『宴曲十七帖 謡曲末百番』国書刊行会 編