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上宮太子


ワキ 官人
シテ 翁(秦河勝)
ツレ 随行者


ワキ 前に同じ
シテ 上宮太子

次第「神や仏と隔つれど。〳〵。誓ひは同じかるらん。
ワキ詞「抑是は当今に仕へ奉る臣下なり。さても津の国天王寺は。我朝精舎の最初なれども。未だ参詣申さず候ふ程に。此度君に御暇を申し。只今津の国天王寺に参詣仕り候。
道行「夜をこめて。竹田の里を立ち出でゝ。〳〵。淀山崎や石清水。八幡の社伏し拝み。猪名の笹原分け過ぎて。行けば程なく津の国や。難波の浦に着きにけり。〳〵。
詞「急ぎ候ふ程に。津の国天王寺に着きて候。処の人を相待ち謂を尋ねばやと存じ候。
シテ、ツレ「法の花。散りし莚に臨みてや。光りを増しゝ難波江の。
ツレ「松の下枝も物さびて。
二人「緑に見ゆる朱の垣。
サシ「それ我朝はもとよりも。粟散遍地の小国なれども。
二人「或は神明又は仏陀と顕はれ給ふ。皆これ同体異名にて。たとへば水波の隔の如し。殊に此上宮太子と申し奉るは。救世観音の御垂跡にて。仏法王法を起し給ふ。げに有難き恵みかな。
下歌「いざ正身の観音の。御影を猶も拝まん。
上歌「まのあたりなる仏恩は。〳〵。衡山の峰よりも高くして。阿僧祇劫を経るとても。いかでか之を報謝せん。たゞ頼め〳〵。衆生済度の御誓ひ。などかは仰がざるべき。〳〵。
ワキ「如何に是なる老人に尋ね申すべき事の候。
シテ「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ「処の人にてましまさば。太子の御事御物語り候へ。
シテ「事も愚や上宮太子と申し奉るは。本地救世観音にておはしますが。仏法興隆のために此土に御出現あり。即ち日の本の釈尊とも崇め申し候。
ワキ「さて又此天王寺御建立はいつの頃にて候ふぞ。
シテ「抑天王寺御建立の事は。昔弓削の守屋と云ひし逆臣ありしが。河内の国稲村に城廓を構へ。廿九万三千の勢にて立て籠る。太子の御勢終に二百五十騎を以て向ひ給ふ。さるは大敵の事なれば。初は太子討ち負け給ふ。されども太子は恐れ給はず。仏法興隆の為めの戦なれば。願力にあらずんば勝軍を得難しと思召れ。勝軍木にて四天の像を作り。甲の上に安置し給ふ。さて又迹見の臣に命じて。定の弓恵の矢を以て。稲村が城に放させ給へば。此矢則ち守屋が胸板に当つて。櫓の上より逆様に落つ。其時秦の河勝内毛の剣を以て。守屋が頸を討ち落せば。残党も悉く亡びぬ。其後此処に一宇を建立まし〳〵て。四天王の像を安置し給ふに依りて。則ち天王寺とは申し候。
ワキ「謂を聞けば有難や。さて〳〵先に聞えつる。上宮太子と申す事は。いか様故ある御名やらん。
シテ「げに能く御不審候。御父用明天皇は。太子を御寵愛の余りに。南殿の上宮に居ゑ置かせ給へば。上宮太子と申すなり。
ワキ「さて又八耳の皇子と申す事は。
シテ「八人の訴をも一時に聞し召されしかば。八耳の皇子とも申すなり。
ツレ「或は豊聡。
シテ「又は耳聡。
ツレ「其外厩戸。
シテ「聖徳とも。
地「只此太子の御事なり。本より救世の観音の。無縁の衆生済度せんと。九品の蓮台の。浄土を出でて日域の。粟散遍地に出生し。仏法流布の霊地となり。今末の代に至るまで。誰か恵を受けざらん。〳〵。
ワキ「猶々太子の御出生。謂委しく御物語り候へ。
クリ地「それ我朝に其威光を広め。西天唐土に其名を顕はし給ひしは。上宮太子にておはします。
シテサシ「彼欽明天皇三十二。睦月一日の夜半に御夢相の告あり。
地「金色の僧来り給ひ。后に告げて宣はく。吾に救世の願あり。則ち后の御胎内に。宿るべしとありしかば。
クセ「后答へて宣はく。妾が胎内は垢穢なり。いかで貴き御体を。宿し給はんと有りしかば。僧重ねて宣はく。吾は垢穢を厭はず。唯望むらくは人間に。着到せんがためなり。后辞するに処なし。兎も角もと有りしかば。此僧大きに悦んで。后の御口に。飛び入り給ふと御覧じて。暁月軒にかゝやき。松風夢を破つて。五更の天も明けにけり。帝このよし聞し召し。悦びの色をなし給ふ。后必ずしやうらんを。生み給ふべしと有りしかば。
シテ「隙ゆく駒を繫がねば。
地「大抜提河の池の水。澄まで濁れる如くにて。十二月と申すには。南殿の御厩にて。御産平安。皇子御誕生なり。厩戸の皇子と申すも。上宮太子の御事。
ロンギ地「げに有難き物語。御身如何なる人やらん。其名を名乗り給へや。
シテ「今は何をか包むべき。其古へは秦の。河勝といはれしが。時代とて今は又。大荒の神は我なり。
地「そも河勝の御事は。太子の臣と聞く物を。只今こゝに来現は。如何なる故にましますぞ。
シテ「愚なりとよ君臣の。礼を重んず心なれば。常に来り拝すなり。
地「暇申して帰るとて。夕波の難波江の。海人の小舟に飛び乗りて。風に任せて西の海。沖に浮ぶと程もなく。播磨の岸に着くと見えて。かき消すやうに失せにけり。〳〵。(中入)
ワキ「さては只今の老人は。秦の河勝にてまし〳〵けるぞや。今宵はこゝに休らひて。猶も奇特を拝まんと。
歌「思ふ心も住吉の。〳〵。松の隙より妙音の。月に聞えて光りさす。気色ぞ新たなりける。〳〵。
地「不思議や沖の方よりも。〳〵。異香薫じ。紫雲たなびく其内に。光りも照りそふ天乙女。紅の幣を捧げつゝ。和歌を詠じて舞ひ給ふ。げに有難き奇瑞かな。(三段の舞)
地「其時御堂は鳴動して。〳〵。扉も朱の玉垣も。輝き渡れる端厳の御姿。さながら菩薩の影向かや。
後ジテ「抑是は。世尊の御法を日本に弘通せし。上宮太子とは我事なり。我在世の昔定め置きし。三宝供養の舞楽を奏し。かの稀人を慰めんと。
地「糸竹の調べ様々に。未来成仏の曲をかなで。法性真如の声をなす。法会の舞楽は有難や。(楽)
ロンギ地「あら面白の音楽や。そもや舞楽の其功徳。広大無辺なるとかや。
シテ「先づ舞楽とは極楽の。菩薩聖衆の遊びにて。妙音菩薩は十方の。伎楽を集め舞ひ給ふ。
地「さて天竺の音楽は。
シテ「釈尊都卒内院の。万秋樹下に居して。弥勒灌頂の陀羅尼を。楽にうつして奏しければ。万秋楽と名づけたり。
地「げに伝へ聞く此楽を。
シテ「見聞の人は決定。往生都卒と説かれたり。
地「又我朝に伝へしは。
シテ「推古天皇の御時。百済国の伶人。来りて舞楽管絃の。秘曲を伝へ尽しければ。
地「其時我も悦びて。普く四方に弘めけり。四天王寺の楽人も。此時よりぞ始まれり。是れ得脱の誘引。往生の梯ひとへに。只音楽の徳とかや。〳〵。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第八輯』大和田建樹 著

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