💡 本説を読む 『古今著聞集』巻第二 第二「釈教」から、謡曲のよりどころとなった部分はこちら。また、自分の前生の骸骨を発見する部分は、役小角を伝える『役行者本記』小角奇特分第三之一(小角三十四歳)と類似の内容となっています。
浄蔵貴所 別名 臥塚
シテ 浄蔵貴所の霊 ワキ 真言の客僧 所 山城八坂 ワキ、サシ「夫真言の教法は。芥子七粒を鉄塔に打て真義を開く。其道不可思議にして。言葉を以て演難し。我先師浄蔵貴所。滅をとつて五十年。時去時うつつて。今月今日師の縁結びし所なれば。八坂の郷青塚の辺りにて。報謝の廻向申さんと。 道行「庵室を出て行道の。〳〵。実九重の道すがら。貴賤男女の様々に。河原面を過行ば。恵みも厚き神の園。真葛が原も程近き。八坂にはやく着にけり。〳〵。 シテ、サシ「人の形は百年の旅館也。名は万代の嘉賓たり。勤むべし励むべし。旦に道を聞。夕に死すとも可なりとは。よくも古人のいへるかな。 詞「や。是に客僧の休らひ。青塚に向て観念の気色。そも何故の礼拝ぞや。 ワキ「是は浄蔵貴所の孫弟にて候が。今年は師の五十年に当らせ給ふなれば。師恩報謝の御礼の為に詣で候。 シテ「尤殊勝に候。実も此青塚は。王城の方へ傾きしを。勅に応じて浄蔵貴所祈り直して。太平の都となせし所なれば。其所縁なきにしも非ず。役の行者の再来と。諸人貴み奉れば。行末祈り給ふべし。 ワキ「荒有難や。先師の行業委く知しめされしよな。我等不堪の身にしあれば。其来歴御物語候へ。 シテ「事も愚や浄蔵は。飛鳥をも祈り落し。殊には悪魔降伏の神呪を唱へ。 ワキ「難行苦行捨身の行。 シテ「岩根を枕苔を莚に。 ワキ「大峰葛城。 シテ「日の本の。 同「名山名地仏閣を。〳〵。行せぬ方もあらばこそ。僧かと見れば優婆塞。戒師とみれば大俗。権化に非ず下賤になし。身を殺し心を砕き。行体自在の権者にて。其奇特数々。何をかそれと語らん。〳〵。 ワキ「迚もの御事に。先師奇妙の独鈷を所持し。加持ごとに奇瑞有し。是は焉くより御伝へ候ぞ。定て御存候べし。熟に承度候。 シテ「有増聞及し事。物語申候はん。抑此独鈷は。浄蔵葛城に。百日行ひ給ひし時。閼伽の水汲。深谷に一つの死人の臥塚有。立寄骸を見給ひしに。 サシ「頭手足つゞきながら。苔青く草茂り。 同「石を枕にして。其みにあまれるが。右に独鈷を掬りたり。 シテ「金色の色さびずして。 同「いかなる者の死骸と云事知らず。浄蔵独鈷をとらんとすれども。磐石の如くにて。取べき様もなかりけり。 クセ「神にかけ仏に祈伏柴の。庵を足下に結んで。日数を送る夜の夢に。あれは汝が前生の死骸なり。加持してとれと示現有。ありがたし〳〵と。七夜かぢして。独鈷をとれば不思議やな。骸は雪の消しごと。跡かたもなく成にけり。則塚となし。臥塚と是を名付たり。 シテ「扨大比叡にとぢ籠り。 同「六道衆生の其為に。毎日法花経六部を絶ず怠らず。三時の行徳を終し。六千返の礼拝。根機を尽し給ふ時。万山護王顕れて。給仕隙なく仕へて。さながら仏在世の。昔も斯やあらたなり。浄蔵の御事語るも愚成けり。 ワキ「か様に委く語り給ふ。御身はいか成人やらん。 シテ「今は何をかつゝみ井の。ふかき夜すがらあらはれて。 同「猶も昔をあらはさん。我こそ汝が尋ぬる。浄蔵貴所よ疑ふなと。立かと見れば。其儘中天に走り上りて。かゞやく雲の絶間に。大日とあらはれ。白雲に乗じ失給ふ。〳〵。(中入) 後シテ「抑是は浄蔵貴所。本地役の小角大日尊。思ひ出たり。文月十五日安居の夜。修入禅師と行競。石に牛王をつけ中にたて。七歳より父母の懐を出。山林を家とし雲霧を莚とし。身を砕き心をひやす。是全く身命をおしまず。又名利の為にせず。只無上菩提の為なり。若我をしらば。はくの石渡すべしと。心中に加持すれば。 同「不思議や此石飛出て。〳〵。まりの如く躍りはぬれば。禅師のいはく。石物さはがし。落入給へと云声に。大威徳の呪を頌すれば。石は本座に閑まりけり。 シテ「浄蔵重て衆命に任。 同「かたじけなくも。禅師につがひ奉る。うや〳〵しや。行業深く齢ひ傾き。仏在世の摩訶迦葉とも云つべし。験を禅師に論はず。只三宝の証明を仰ぐぞと。常在霊山の句を上る。其声雲を響かし。聞人心肝を砕く所に。又此石の躍出て。天に上り地に下り。暫し本座に閑まらず。互ひの呪力はおそろしや。(働) シテ「暫く有て此石の。 同「真中よりも。二つに破。 同「両前に飛別るれば。禅師も貴所も勝劣なしとて。大衆は其座を退けり。夫より威光天下にかがやき。高麗唐土の。見ぬ人迄も。其行徳をしたひにき。我宗修行の道をみるからは。真如の台は目前に顕はるべしと。語り捨て〳〵。夢はほどなく覚にけり。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『宴曲十七帖 謡曲末百番』国書刊行会 編
古今著聞集 巻第二 第二 釈教
(前略)浄蔵法師は、やんごとなき行者なり。葛城山におこなひける比、金剛山の谷に、大なる死人の屍ありけり。頭手足つゞきてふしたり。苔青く生ひて、石を枕にせり。手に独鈷をにぎりたり。金色錆びずしてきらめきたり。浄蔵大にあやしみて、その谷にとゞまりて、これ何人の屍といふ事を知らんと、本尊に祈請しけるに、第五日の夜、夢に人告げていはく「是は汝がむかしの骨なり。速に加持して、かの独鈷を得べきなり」といふ。さめて屍に向ひて、声をあげて加持するに、屍はたらき動きて、起きあがりて掌をひらきて、独鈷を浄蔵にあたへてげり。その後薪を積みて、葬むりて上に石の率塔婆を立てけり。件のそとば、今にかの谷にありとなん。こゝに浄蔵は、多生の行人なりといふことを知りぬ。又比叡山横川に、三年こもりて、六道衆生のために毎日法華経六部をよみ、三時の行徳を修し、六千遍の礼拝をいたして回向しけり。その時護法かたちを現はして、花をとり水をくみて給仕しけり。同住山の比の事にや、七月十五日安居の夜、験くらべを行はれけるに、朗善和尚の弟子に、修入といふやんごとなき験者につがひにけり。その比は石に護法をばつけけり。第六のつがひにて、まづ浄蔵出てゐる。次に修入出てゐる。浄蔵がいはく「生年七歳より父母の懐を出て、山林を家として、雲霧をしきものとす。日々に身を砕き、夜々に心をついやす。ねんごろに肝胆をくだいて、全く身命ををしまず。これ敢て名利のためにせず、無上菩提のためなり。若し我をしらば、はくの石わたすべし」といふ。その時はくの石とび出でて、おちあがる事鞠のごとし。こゝに修入いはく「はくの石はなはだ物さわがし。はやくおちゐ給へ」と、辞にしたがひて、即ち鎮まりぬ。大威徳呪を見て、しばらく加持するに、あへてはたらかず。浄蔵又いはく「衆命によりて、かたじけなくも禅師につがひ奉る。禅下行業年ふかくして、観念齢かたぶけり。その威徳を見るに、すでに在世の摩訶迦葉に同じ。あへて験を尊者に争ひ奉るにあらず、たゞ三宝の証明を顕さんがためなり」といひて、常在霊鷲山の句をあぐ。その声雲をひゞかして、聞く人心肝をくだく。その時はくの石又動き躍りて、遂に中よりわれて、両人の前におちゐぬ。二人共に座を立ちて、互にをがみて入りにけり。見る人涙をながさずといふ事なし。(後略) 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今著聞集』塚本哲三 編
役行者本記 小角奇特分第三之一 小角三十四歳
天智天皇六年丁卯四月。始登二和州大峰一至二於剣之岳一。有二一骸骨一。五体不二敢分離一。身長九尺五寸。左手取二一股杵一。右手持二利剣一仰臥。小角欲レ取二持物一。山雖二揺動一不レ能レ取。小角悲歎而曰。修力不レ効乎。将又有二因縁一乎。祈レ天苦修。令二疲労絶臥一。有レ声而曰。汝於二此峰一終レ生七反。此是第三生遺骸也。又外二生骸猶存。誦二千手呪五遍化呪三遍一而取レ之。如レ教而取。骸骨展レ手授二於小角一。一生執持而不レ離レ身。従レ其至二西向野一又有二一骸骨一。第六生遺骸也。又釈迦之岳有二一骸骨一。是第五生也。第一生人王三十代允恭天皇御宇也。第三生当二安康帝馭宇一。第五生当二清寧帝末年一。第六生当二安閑帝二年乙卯一。第七生而経歴之功遂果。是空中告音也。
天智天皇六年丁卯四月。始めて和州大峰に登りて剣ケ岳に至れば。一骸骨有り。五体敢て分離せず。身長九尺五寸。左手に一鈷杵を取り。右手に利剣を持して仰臥す。小角持物を取らんと欲して山揺動すと雖も。取る能はず。小角悲歎して曰く。修力効なきか。将又因縁有る乎と。天に祈り苦修して疲労絶臥せしめらる。声有りて曰く。汝此峰に於て。生を終へること七反なり。此は是れ第三生の遺骸なるぞ。又外に二生の骸骨猶ほ存す。千手の呪五遍。化呪三反して之を取れと。教の如くして取らんとすれば。骸骨手を展べ小角に授く。小角一生執持して身を離さず。其に従ひて西に向かふ野に至るに一骸骨又有り。第六生の遺骸なり。又釈迦ケ岳に一骸骨有り。是れ第五生なり。第一生は人王三十代允恭天皇の御宇なり。第三生は安康帝の馭宇に当たる。第五の生は清寧帝の末年に当たる。第六生は安閑帝の二年乙卯に当たる。第七生にして経歴の功遂に果たす。是れ空中の告音なり。
底本:国立国会図書館デジタルコレクション『日本大蔵経第三十八巻 宗典部 修験道章疏三』日本大蔵経編纂会 編、『神変大菩薩 修験道祖、役行者伝』大三輪信哉 著