道成寺
観阿弥作 前 ワキ 道成寺の住僧 狂言二人 道成寺の能力 ワキヅレ 同じく伴僧 シテ 白拍子 後 ワキ 前に同じ ワキヅレ 前に同じ シテ 蛇身 地は 紀伊 季は 三月 ワキ詞「是は紀州道成寺の住僧にて候。さても当寺に於てさる子細有つて。久しく撞鐘退転仕りて候ふを。此程再興し鐘を鋳させて候。今日吉日にて候ふ程に。鐘の供養を致さばやと存じ候。いかに能力。はや鐘をば鐘楼へ上げて有るか。 狂言「さん候はや鐘楼へ上げて候ふ御覧候へ。 ワキ「今日鐘の供養を致さうずるにて有るぞ。又さる子細ある間女人禁制にて有るぞ。かまひて一人も入れ候ふな。其分心得候へ。 狂言「畏つて候。 シテ次第「作りし罪も消えぬべし。〳〵。鐘の供養に参らん。 サシ「是は此国のかたはらに住む白拍子にて候。 詞「さても道成寺と申す御寺に。鐘の供養の御入り候ふ由申し候ふ程に。唯今参らばやと思ひ候。 道行「月は程なく入りしほの。〳〵。煙みちくる小松原。急ぐ心かまだ暮れぬ。日高の寺に着きにけり。〳〵。 詞「急ぎ候ふ程に。日高の寺に着きて候。やがて供養を拝まうずるにて候。 狂言「如何に是なる女人何くより参られたるぞ。供養の庭へは叶ひ候ふまじ。 シテ「是は此国のかたはらにすむ白拍子にて候。鐘の供養にそと舞をまひ候ふべし。供養を拝ませて賜はり候へ。 狂言「尤拝ませたく候へども。何と思し召し候ふやらん。供養の庭には堅く禁制と仰せ出だされて候ふ去りながら。某の心得を以て拝ませ申さうずる間。面白う舞まうて御見せ候へ。折節是に烏帽子の候。之を召して御舞ひ候へ。 シテ「荒うれしや涯分舞をまひ候ふべし。うれしやさらば舞はんとて。あれにまします宮人の。烏帽子をしばし仮に着て。既に拍子を進めけり。 次第「花の外には松ばかり。〳〵。暮れそめて鐘や響くらん。(乱拍子) ワカ「道成の卿承り。始めて伽藍橘の。道成興行の寺なればとて。道成寺とは名づけたりや。 地「山寺のや。(急の舞) シテ「春の夕ぐれ来てみれば。 地「入相の鐘に花ぞ散りける。花ぞちりける。〳〵。 シテ「さるほどに〳〵。寺々の鐘。 地「月落ち鳥鳴いて霜雪天に。満汐ほどなく日高の寺の。江村の漁火愁に対して。人々眠ればよき隙ぞと。立ち舞ふ様にてねらひよりて。撞かんとせしが。思へば此鐘恨めしやとて。龍頭に手をかけ飛ぶとぞみえし。ひきかづきてぞ失せにける。(中入) 狂言「落ちてござる。 ワキ「何が落ちたると申すぞ。 狂言「鐘が鐘楼より落ちて候。 ワキ「鐘が鐘楼より落ちたると申すか。 狂言「中々。 ワキ「何として落ちたるぞ。 狂言「随分念を入れて御座るが落ちて候。 ワキ「別に思ひ合はする事は無きか。 狂言「それにつき思ひ出でたる事が御座る。最前此国の傍に住む白拍子にてあるが。鐘の供養を拝ませてくれよと申した程に。禁制のよし申して御座れば。舞を舞うて見せ申さうずるに依つてと申したによつて見せ申したが。もしさやうの者のわざにても御座あらうずるか。 ワキ詞「言語道断。かやうの義を存じてこそ。固く女人禁制のよし申して候ふに。曲事にて有るぞ。なふ〳〵皆々かう渡り候へ。此鐘に付いて女人禁制と申しつるいはれの候ふを御存じ候ふか。 ツレ「いや何とも存ぜず候。 ワキ「さらば其謂を語つて聞かせ申し候ふべし。 ツレ「懇に御物語り候へ。 ワキ「むかし此所に。まなごの庄司と云ふ者あり。彼者一人の息女を持つ。又其頃奥より熊野へ参詣する山伏の有りしが。庄司がもとを宿坊と定め。いつも彼所にきたりぬ。庄司娘を寵愛の余りに。あの客僧こそ汝がつまよ夫よなんどゝ戯れしを。をさな心に誠とおもひ年月を送る。又或とき彼客僧庄司がもとに来りしに。彼女夜更け人しづまつて後。客僧の閨にゆき。いつまでわらはをばかくて置き給ふぞ。急ぎむかへ給へと申しゝかば。客僧大きにさわぎ。さあらぬよしにもてなし。夜にまぎれ忍びいで此寺にきたり。ひらに頼むよし申しゝかば。隠すべき所なければ。撞鐘をおろし其のうちに此客僧を隠しおく。さて彼女は山伏を。のがすまじとて追つかくる。折節日高川の水以ての外に増りしかば。川の上しもをかなたこなたへ走りまはりしが。一念の毒蛇と為つて。河を易々とおよぎこし此寺にきたり。こゝかしこを尋ねしが。鐘のおりたるを怪しめ。龍頭をくはへ七まとひ纏ひ。焰を出だし尾を以てたゝけば。鐘はすなはち湯となつて。終に山伏を取りをはんぬ。なんぼう恐ろしき物がたりにて候ふぞ。 ツレ「言語道断。かゝる恐ろしきおん物語こそ候はね。 ワキ「其時の女の執心残つて。また此鐘に障碍をなすと存じ候。我人の行功も。かやうのためにてこそ候へ。涯分祈つて此鐘を二度鐘楼へ上げうずるにて候。 ツレ「尤しかるべう候。 ワキ「水かへつて日高川原の真砂の数は尽くるとも。行者の法力つくべきかと。 ツレ「みな一同に声をあげ。 ワキ「東方に降三世明王。 ツレ「南方に軍荼利夜叉明王。 ワキ「西方に大威徳明王。 ツレ「北方に金剛夜叉明王。 ワキ「中央に大日大聖不動。 地「動くか動かぬかさつくの。曩謨三曼多嚩日羅南。旋多摩訶嚕遮那。娑婆多耶吽多羅吒干𤚥。聴我説者得大智恵。知我身者即身成仏と。今の蛇身を祈るうへは。 ワキ「何のうらみか有明の。撞鐘こそ。 地「すは〳〵動くぞ祈れたゞ。〳〵。引けや手ん手に千手の陀羅尼。不動の慈救の偈。明王の火焰の。黒煙を立てゝぞ祈りける。祈り祈られつかねど此鐘ひゞきいで。引かねど此鐘躍るとぞ見えし。程なく鐘楼に引きあげたり。あれ見よ蛇体は顕はれたり。 地「謹請東方青龍清浄。謹請西方白体白龍。謹請中央黄体黄龍。一大三千大千世界の。恒沙の龍王哀愍納受。哀愍じきんのみぎんなれば。いづくに大蛇のあるべきぞと。祈り祈られかつぱとまろぶが。又おきあがつて忽に。鐘に向つて衝く息は。猛火と為つてその身を焼く。日高の川浪深淵に。飛んでぞ入りにける。望み足りぬと験者達は。わが本坊にぞ帰りける。〳〵。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第四輯』大和田建樹 著