橋供養 一名 相模川
ワキ 秩父庄司重忠 立衆数人 随行の武士 ツレワキ 若宮別当 シテ 能登守教経 地は 相模 季は 冬十二月 ワキ次第「弔ふ法も彼岸の。〳〵。橋の供養をなさうよ。 詞「是は秩父の庄司重忠にて候。是に御座候ふは。二位の頼朝卿にておはします。さても此君奢る平家を打ち平らげ。天下一統に治り。征夷将軍の宣旨を蒙り。誠にゆゝしき御威光にて候。こゝに稲毛の三郎重成の御亡妻は。内縁の御事なれば。様々御弔ひなされ候ふ中にも。相模川に橋をかけ。御菩提を御弔ひ候。則ち成就仕り。今日橋の供養のため。在鎌倉の大名小名御供にて。相模川へ御出馬なされ候。 立衆「頃は建久九年十二月。先づ御供には北条殿。 ワキ「一条板垣和田秩父。 立衆「逸見竹田小笠原。 ワキ「梶原佐々木。 立衆「土肥。 ワキ「土屋。 地「おの〳〵供奉し申しつゝ。〳〵。道の警衛花やかに。まだ冬籠る梅沢や。大磯小磯打ち過ぎて。相模川にも着きにけり。〳〵。 ワキサシ「さて橋の東に御仮屋を設け。 僧「橋の上には若宮の別当。 立衆「出世の供僧数百余人。 ワキ「橋の中央に百味の飲食幡花鬘。 僧「舞歌の舞人児楽人。 立衆「西のつめには警固の兵士。 ワキ「直冑にて数千人。 二人「既に供養ぞ始りける。 地「有難のけしきや。伶人は五常楽。波に響きて妙なれや。玉の幡風に靡き色めくは。五色の雲とあやまたれ。金銀の作り花。照る日に映じ偏に。華蔵世界を我国に。移しけるかと過たれ。沈香の匂ひ風に薫じ。異香四方に充ち満ち。生れながらに極楽の。台に上る気色にて。おの〳〵肝に銘じけり。〳〵。 クセ「別当鈴振り立てゝ。法華八講高らかに。衆僧同音の読誦に。天人も舞ひ下り。中有那落の罪人も。今この時に浮むらん。山色も変り。川水も緑色まし。鱗も浮み出で。まして尊霊成仏。疑ひなしと結願の。鐘の声は非々想。悲想天へ響くらん。 ワキ「秩父は其日の奉行として。橋の東西に目を配り。事を静めて執り行ふ。 僧「如何に秩父殿。 ワキ「何事にて候ふぞ。 僧「かゝる妙なる御供養。諸天も納受あるべき処に。不思議や晴天かき曇り。時ならぬ箱根山に。電光するを見給ひたるか。 ワキ「誠に海上の気色かはり。西より波浪漲りて。げに只ならぬその気色。別当油断し給ふなよ。 僧「御心易く思し召せ。朝敵ならば武士のわざ。魔軍化生の障りならば。法力を以て沈むべしと。神呪を唱へ印を結び。遥に其方を見上ぐれば。 地「不思議や川波立ち帰り。〳〵。玉衣の児を鳳輦に乗せて。香衣の尼公伴ふ跡より。百官卿相馬武者徒歩武者。波上に顕れ。扇子をあげてぞ招きける。 シテ「抑是は平家の一門。西海四海に名を揚げし。能登の守教経なり。あら珍しや如何に頼朝。過ぎし恨を報ぜんと。 地「声をしるべの西海の底に。一門の沈みしその有様に。又頼朝を水屑となさんと。夕波の長刀取り直し。水車波の紋。河水を蹴立て。真砂を吹き上げ。眼も暗み心も乱れて。おの〳〵前後を忘じけり。 ワキ「重忠少しもさわがずして。 地「重忠少しも騒がずして。打物抜き持ち言葉をかはし。彼怨霊と戦ひけるを。別当押し隔て。数珠さら〳〵と押しもんで。千手の陀羅尼尊勝陀羅尼。秘密の神呪を責め懸け〳〵唱へ給へば。悪霊次第に遠ざかるを。南無からたんなう。大ひゑんものふひじんしゆと。祈り給へば。不思議や東より。鳩吹く風に化鳥あらはれ。かの悪霊を遥に蹴立て。嗔りをなせば。たゞ雪霜の消々と。たゞ雪霜の消々と。立つ波に紛れて失せにけり。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第一輯』大和田建樹 著