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放下僧

禅竹作


ツレ 牧野小次郎
シテ 小次郎の兄(僧)


ワキ 利根信俊
シテ 前に同じ
ツレ 前に同じ

地は 相模
季は 雑

ツレ詞「かやうに候ふ者は。下野の国の住人。牧野の左衛門何某が子に。小次郎と申す者にて候。さても親にて候ふ者は。相模の国の住人。利根の信俊と申す者と口論し。念なう討たれて候。親の敵にて候ふ程に。討たばやとは存じ候へども。敵は猛勢我等は唯一人にて候ふ間。思ふにかひなく月日を送り候。又兄にて候ふ者は。幼少より出家仕り。あたり近き会下に候。あまりに便もなく候ふ間。立ちこえ此事を談合せばやと存じ候。いかに案内申し候。
シテ「誰にて渡り候ふぞ。
ツレ「某が参りて候。
シテ「や。此方へ渡り候へ。さて唯今は何の為めに来り給ひて候ふぞ。
ツレ「さん候只今参る事余の儀にあらず。我等が親の敵の事。討たばやとは存じ候へども。敵は猛勢我等は唯一人にて候ふ程に。思ふにかひなく月日を送り候。あはれ諸共に思召し御立ち候へかし。
シテ「仰せはさる事なれども。我等が事は幼少より出家のことにて候ふ程に。今更いかゞにて候。
ツレ「御意はさる事にて候へども。親の敵を討たぬ者は不孝の由を申し候。
シテ「さて親の敵を討つて孝に備はりたる事の候ふか。
ツレ「中々の事。
モノガタリ「唐の事にや有りけん。母を悪虎に取られ。其敵をとらんとて。百日虎伏す野辺に出でゝねらふ。ある夕暮に。尾上の松の木隠に。虎に似たる大石のありしを敵虎と思ひ。つがへる矢なればよつぴいて放つ。此矢すなはち巌に立ち。たちまち血流れけるとなり。是も孝の心深きにより。堅き石にも矢の立つと申し候へば。只思召し御立ち候へ。
シテ「是は面白き事を引いて承り候ふ物かな。此上は諸共に思ひ立たうずるにて候。さて彼者には何として近づき候ふべき。
ツレ「某が急度案じ出だしたる事の候。此頃人の翫び候ふは放下にて候ふ程に。某は放下になり候ふべし。御身は放下僧に御なり候へ。彼者禅法に好きたる由申し候ふ程に。禅法を仰せられうずるにて候。
シテ「げに是は面白き了簡にて候。さらばやがて思ひ立たうずるにて候。
カヽル「いざ〳〵さらばと思ひつゝ。行脚の姿に身をやつせば。
ツレ「我もうれしく思ひつゝ。放下の姿に出で立ちて。
シテ「さもすご〳〵と。
ツレ「立ち出づる。
地「故郷の。名残もさぞな有明の。〳〵。つれなきながらながらふる。命ぞ限り兄弟は。我心をや頼むらん。〳〵。(中入)
ワキ次第「歩みを運ぶ神垣や。〳〵。隔てぬ誓ひ頼まん。
詞「是は相模の国の住人。利根の信俊と申す者にて候。我此間打ちつゞき夢見あしく候ふ程に。瀬戸の三島へ参らばやと存じ候。
後ジテサシ「面白の我等がありさまやな。僧俗二つの道を離れ。姿言葉も人に似ぬ。
ツレ「其振舞を隠家と。思ひ捨つれば安き身を。
シテ「知らでなどかは迷ふらん。
二人一声「落花一葉の春を知らず。白雲青山におほふとか。
ツレ「流水残照の秋にして。
二人「紅葉をあらそふ謂あり。
地「朝の嵐ゆふべの雨。〳〵。今日又明日の昔ぞと。ゆふべの露の村時雨。定めなき世に古川の。水のうたかた我いかに。人をあだにや思ふらん。〳〵。
ワキ詞「いかに面々に不審申したき事の候。
シテ「承り候。
ワキ「およそ沙門の形と謂つぱ。十力の数珠を手に纏ひ。忍辱二諦の衣を着。罪障懺悔の袈裟を掛けてこそ僧とは申すべけれ。異形のいでたち心得ず候。又見申せば柱杖に団扇を添へて持たれたり。団扇の一句承りたく候。
シテ「夫れ団扇と申すは。動く時には清風をなし。静なる時は明月を見す。明月清風唯動静の内にあれば。諸法を心が所作として。
カヽル「心実修行の便にて。我等が持つは道理なり。とがめ給ふぞおろかなる。
ワキ「団扇の一句おもしろう候。今一人は弓矢を帯し給ふ。弓も御僧の道具ざふか。
ツレ「夫れ弓と申すは本末に。烏兎の姿を像り。日月をこゝに顕はし。浄穢不二の秘法を表す。されば愛染明王も。神通の弓を張り。方便の矢を爪よつて。
カヽル「四魔の軍を破り給ふ。
地「されば我等も之を持ち。されば我等も之を持ちて。引かぬ弓。はなさぬ矢にて射る時は。当らずしかもはづさゞりけりと。かやうによむ歌もあり。知らずな物なのたまひそ。〳〵。
ワキ詞「さて放下僧はいづれの祖師禅法を御伝へ候ふぞ。面々の宗体が承りたく候。
シテ「我等が宗体と申すに。教外別伝にして。言ふも言はれず説くも説かれず。言句に出だせば教に落ち。文字を立つれば宗体に背く。
カヽル「たゞ一葉の飄る。風の行方を御覧ぜよ。
ワキ「げに〳〵面白う候。さて座禅の公案何と心得候ふべき。
ツレ「入つては幽玄の底に動じ。出でゝは三昧の門に遊ぶ。
ワキ「自身自仏はさていかに。
シテ「白雲深き所金龍躍る。
ワキ「生死に住せば。
シテ「輪廻の苦。
ワキ「生死を離れば。
シテ「断見の科。
ワキ「さて向上の一路は如何に。
ツレ「切つて三段と為す。
シテ「暫く。切つて三段と為すとは。禅法の言葉なるを。
カヽル「御さわぎあるこそ愚かなれ。
地「何とたゞ中々に。磐手の山の岩躑躅。色には出でじ。南無三宝。をかしの人の心や。
シテサシ「されば大小の根機を嫌はず。持戒破戒を撰ばず。
地「有無の二偏に落つる事なく。皆成仏するためしあり。
シテ「かるが故に草木も発心の姿を顕はし。
地「柳は緑花は紅なる。其色々を顕はせり。
クセ「青陽の春の朝には。谷の戸出づる鶯の。氷れる涙とけそめて。雪消の水のうたかたに。相宿りする蛙の声。聞けば心のある物を。目に見ぬ秋を風に聞き。荻の葉そよぐ故郷の。田面に落つる雁鳴きて。稲葉の雲の夕時雨。妻恋ひかぬる小男鹿の。たゝずむ月を山に見て。指を忘るゝ思ひあり。
シテ「浦の湊の釣舟は。
地「魚を得て筌を捨つ。此を見彼を聞く時は。嶺の嵐や谷の声。夕の煙朝霞。皆是れ三界唯心の。ことわりなりと思しめし。心を悟り給へや。
シテ「月の為めには浮雲の。
地「種と心や為りぬらん。
小唄シテ「おもしろの花の都や。
地「筆に書くとも及ばじ。東には祇園清水。落ちくる滝の音羽の嵐に。地主の桜はちり〴〵。西は法輪嵯峨の御寺。廻らば廻れ水車の輪の。臨川堰の川波。川柳は水に揉まるゝ。しだり柳は風に揉まるゝ。ふくら雀は竹に揉まるゝ。都の牛は車に揉まるゝ。茶臼は挽木に揉まるゝ。げにまこと忘れたりとよ。こきりこは放下に揉まるゝ。こきりこの二つの竹の。世々を重ねて。打ち治まりたる御世かな。
シテツレ「さのみは何と包むべきと。兄弟ともに抜きつれて。思ふ敵に走り寄り。
地「此年月の恨みの末。今こそ通れ願ひのまゝに。敵をぞ討つたりける。
キリ「かくて兄弟念力の。〳〵。其期の有りて忽に。親の敵を討つ事も。孝行深き故により。名を末代に留めけり。〳〵。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第一輯』大和田建樹 著

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