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正行
シテ 楠木正行 トモ 正行の臣 ワキ 吉野の僧兵 ワキツレ 同 狂言 正行従者 所 大和吉野 時 春 シテ「これは楠正行にて候。扨も此度後醍醐天皇崩御ならせ給ふにより。卿相雲客散々になり給はん志見えて候。天皇の御遺勅には。第七の宮を御位に即け給ひ。朝敵追伐の。御本意をとぐべしとの。御遺勅にて。程なく崩御ならせ給ひ候。さる間七の宮御位に即かせ給ふべき其間。若し逆臣の寄せ来る事もあるべきかと存じ候程に。此三吉野に城をかまへ。皇居を守護し申さばやと存じ候。如何に誰かある。 狂言「シカ〴〵。 シテ「急ぎ御所に櫓をあげ候へ。 狂言「シカ〴〵。 シテ「何と当山よりの文と申すか。やがて開いて見うずるにて候。抑も当山と申すは。王城鎮護の霊地にて候。王法を仰ぎ天下第一の御祈禱所なり。然るに此山に於て。落花狼藉心得ず候。此事留り給はずば。当山の面々押し上せ申すべきものなり。言語道断。是は一大事にて候。 狂言「シカ〴〵。 シテ「実に〳〵汝が申す如く。さらば歌にて御返事申さうずるにてあるぞ。急いで此文を渡し候へ。 狂言「シカ〴〵。 シテ「たとひ面々寄せ来る共。何程の事のあるべきぞと。 地「太刀おつ取つて立ちあがり。〳〵。時しも春の花ざかり。散らさでなどかあるべきと。木陰に立ちてひそかによする敵を待ち給ふ。〳〵。 ワキ立衆「よし野川。花の白浪声たてゝ。鬨を作つて騒ぎけり。 地「正行これを三吉野の〳〵。山辺に咲ける桜花。雪かとのみにあやまち給ふなと。切つてかゝり。蜘蛛手十文字。しのぎを削り。戦ひければ。さしもの兵斬り立てられて大勢ばつとぞ引きたりける。 ワキ「のう〳〵正行。以前の詠歌の心を感じ。和睦をなさんと思ひしかども。正行が武勇を見ん為なり。此山の神慮も照覧あれ。面々いよ〳〵和睦ぞと。太刀長刀をなげ捨てゝ。 ワキ立衆「各々座敷に直りつゝ。正成笠置へ参られし。謂を委しく語り給へ。 シテ「さあらば語つて聞せ申し候べし。そも〳〵北条の時政九代に至り。高時と云へる逆臣あり。 地「其身は上下の礼を乱し。万民更に安からず。 シテサシ「然れば後醍醐天皇。凶徒を静めん其為に。 地「都を忍び御出あり。笠置の山に入給ひ。御堂に御座を構へしに。或夜不思議の御霊夢あり。 クセ「びんづら結へる天童の。二人来つて申す様。此常盤木の南に座せる此枝の其下に。暫く御座をなし給ひ。敵を亡しおはしませと。云ひ捨て雲井に上れば夢も覚め給ふ。 シテ「帝夢中の有様を。 地「文字にうつさせおはしまし。当寺の衆徒を召し出し。楠と云へる武士。若しもありやと宣へば。金剛山の麓に。さる弓執の候と。奏し申せば勅使立つ。頓て正成参内し。治めし国の例をば。引くや親子の我も又。敵を亡し君が代を。幾千代迄とあふがん。 ワキ「委しく御物語り候物かな。此面々も御味方申さうずるにて候。これと申すも我君の。御代万歳の初なれば。和歌を詠じて舞を舞ひ。急ぎ酒宴をなし給へと。 シテ「衆徒中共に。喜の。 地「心嬉しき酒宴かな。 ワキ「如何に正行一さし御舞ひ候へ。 地「心うれしき酒宴かな。 地「かくて酒宴も時過ぎて〳〵。夕陽西に傾きければ。各々用意をなさんとて。座敷を立てば。正行も喜びげに此君の御聖徳。久しき春に逢ふ事も。思へばこれも敷島の〳〵。和歌の道こそ目出たけれ。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『四流対照 謡曲二百番 下巻』芳賀矢一 訂