能「三輪」の詞章とともに、古事記から「三輪山伝説」および「天の石屋」を現代語訳で掲載しています。
謡曲「三輪」にはいずれのエピソードにも、古事記とも日本書紀とも異なる部分があります。
併せて内容の把握にお役立てください。

 

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三輪

世阿弥作


ワキ 玄賓僧都
シテ 里女


ワキ 前に同じ
シテ 三輪明神

地は 大和
季は 秋

ワキ詞「是は和州三輪の山陰に住居する。玄賓と申す沙門にて候。さても此程何くともなく女性一人。毎日樒閼伽の水を汲みて来り候。今日も来りて候はゞ。如何なる者ぞと名を尋ねばやと思ひ候。
シテ次第「三輪の山本道もなし。〳〵。檜原の奥を尋ねん。
サシ「実にや老少不定とて。世の中々に身は残り。幾春秋をか送りけん。あさましや成す事なくて徒に。憂き年月を三輪の里に。住居する女にて候。
詞「又此山陰に玄賓僧都とて。貴き人の御入り候ふ程に。いつも樒閼伽の水を汲みて参らせ候。今日もまた参らばやと思ひ候。
ワキ「山頭には夜孤輪の月を戴き。洞口には朝一片の雲を吐く。山田もるそほづの身こそ悲しけれ。秋はてぬれば訪ふ人もなし。
シテ詞「如何に此菴室の内へ案内申し候はん。
ワキ詞「案内申さんとはいつも来れる人か。
シテ「山影門に入つて推せども出でず。
ワキ「月光地に敷いて掃へども又生ず。
二人「鳥声とこしなへにして。老生と静かなる山居。
下歌地「柴の編戸を押し開き。かくしも尋ね切樒。罪を助けてたび給へ。
上歌「秋寒き窓の内。〳〵。軒の松風うちしぐれ。木の葉かきしく庭の面。門は葎や閉ぢつらん。下樋の水音も。苔に聞えて静かなる。此山住ぞ淋しき。
シテ詞「如何に上人に申すべき事の候。秋も夜寒になり候へば。御衣を一重賜はり候へ。
ワキ詞「易き間の事此衣を参らせ候ふべし。
シテ「あら有難や候。さらば御暇申し候はん。
ワキ詞「暫く。さて〳〵御身は何くに住む人ぞ。
シテ「妾が住家は三輪の里。山本近き所なり。其上我菴は。三輪の山本恋しくはとはよみたれども。何しに我をば訪ひ給ふべき。なほも不審に思し召さば。とぶらひきませ。
地「杉立てる門をしるしにて。尋ね給へと言ひ捨てゝ。かき消す如くに失せにけり。(中入)
ワキ歌「此草菴を立ち出でゝ。〳〵。行けば程なく三輪の里。近きあたりか山陰の。松はしるしもなかりけり。杉村ばかり立つなる。神垣は何くなるらん。〳〵。
ワキ「不思議やな是なる杉の二本を見れば。有りつる女人に与へつる衣の懸かりたるぞや。寄りて見れば衣の褄に金色の文字すわれり。読みて見れば歌なり。三つの輪は清く浄きぞ唐衣。くると思ふな取ると思はじ。
後ジテ「千早振る。神も願ひの有る故に。人の値遇に逢ふぞうれしき。
ワキ「不思議やな是なる杉の木陰より。妙なる御声の聞えさせ給ふぞや。願はくは末世の衆生の願ひをかなへ。御姿をまみえおはしませと。念願深き感涙に。墨の衣を濡らすぞや。
シテ「恥かしながら我姿。上人にまみえ申すべし。罪を助けてたび給へ。
ワキ「いや罪科は人間にあり。是は妙なる神道の。
シテ「衆生済度の方便なるを。
ワキ「暫し迷ひの。
シテ「人心や。
地「女姿と三輪の神。〳〵。襗掛帯引きかへて。唯祝子が着すなる。烏帽子狩衣もすその上に掛け。御影あらたに見え給ふ。かたじけなの御事や。
地クリ「夫れ神代の昔物語は。末代の衆生の為め。済度方便の事業。品々以て世の為めなり。
シテサシ「中にも此敷島は。人敬つて神力増す。
地「五濁の塵に交はり。しばし心は足引の。大和の国に年久しき。夫婦の者あり。八千代をこめし玉椿。変はらぬ色を頼みけるに。
クセ「されども此人。夜は来れども昼見えず。ある夜の睦言に。御身如何なる故により。かく年月を送る身の。昼をば何と烏羽玉の。夜ならで通ひ給はぬは。いと不審多き事なり。唯同じくはとこしなへに。契りをこむべしと有りしかば。彼人答へ云ふやう。実にも姿は羽束師の。漏りてよそにや知られなん。今より後は通ふまじ。契りも今宵ばかりなりと。懇に語れば。さすが別れの悲しさに。帰る所を知らんとて。苧環に針をつけ。裳裾に之を閉ぢつけて。跡をひかへて慕ひ行く。
シテ「まだ青柳の糸長く。
地「結ぶや早玉の。おのが力にさゝがにの。糸くり返し行く程に。此山本の神垣や。杉の下枝に留りたり。こはそもあさましや。契りし人の姿か。其糸の三わげ残りしより。三輪のしるしの過ぎし世を。語るに付けて恥かしや。
ロンギ地「実に有難き御相好。聞くにつけても法の道。猶しも頼む心かな。
シテ「とても神代の物語。委しくいざや顕はし。彼上人を慰めん。
地「先は岩戸の其初め。隠れし神を出ださんとて。八百万の神遊び。是ぞ神楽の始めなる。
シテ「ちはやぶる。(神楽)
ワカ「天の岩戸を引き立てゝ。
地「神は跡なく入り給へば。常闇の世と早なりぬ。
シテ「八百万の神たち。岩戸の前にて之を歎き。神楽を奏して舞ひ給へば。
地「天照大神其時に。岩戸を少し開き給へば。又常闇の雲晴れて。日月光り輝けば。人の面白々と見ゆる。
シテ「面白やと神の御声の。
地「妙なる始めの物語り。
地「思へば伊勢と三輪の神。〳〵。一体分身の御事。今更何と岩倉や。其関の戸の夜も明け。かく有難き夢の告。覚むるや名残なるらん。〳〵。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第七輯』大和田建樹 著

 

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古事記 中巻 崇神天皇 三輪山伝説

 

 此の天皇の御世に、疫病が盛に流行して、人民が殆ど尽きるかと思はれる程亡くなりました。天皇は深くこれを御心配遊ばされて、神祇を祭祀つて祈願を致されましたが、其の神祭りの牀に坐しました夜の御夢の中に、大物主大神が御顕れになりまして仰せられますには、「疫病の流行するのは我が心から出たことである。それゆゑ、意富多多泥古といふ者を以て我が宝前を祭り申さしめたならば、神の御祟は起ることなく、随つて国中平穏になるであらう」と斯う仰せられました。そこで、直に早馬の使者を四方に御遣しになつて、意富多多泥古といふ人を捜し求めしめられましたところ、河内の美努村といふところで、其の人を見つけ出して、連れて参りました。天皇は、「おまへは誰の子孫か」と御問ひになりますと、「わたくしは大物主大神が陶津耳命の女の活玉依毘売を娶つて生みました子の、櫛御方命と申すものゝ子の、飯肩巣見命と申すものゝ子の、建甕槌命と申すものゝ子でございまして、わたくしは意富多多泥古でございますと申し上げました。そこで、天皇は大層御喜びになり、「これで天下も平穏になり、人民も富み栄えるであらう」と仰せられて、やがて此の意富多多泥古命を神主として、御諸山に意富美和之大神を斎き祭らしめ給ふことゝなりました。
 天皇は又、伊迦賀色許男命に命じて、多数の平瓮を作り、天神、地祇の社を定めて、鄭重に御祭を行はしめられました。又、宇陀の墨坂神に赤色の楯と矛とを奉り、大坂神に黒色の楯と矛とを奉つて、これを祭り、その他、山坂や河瀬に鎮まり坐す神々に至るまで、遺るところ無く悉くに幣帛を奉つて、鄭重に御祭を行はしめられました。それゆゑ、これに因つて、疫病がすつかり熄んで、天下はもとの通りに平穏になりました。
 此の意富多多泥古といふ人を神の御子だと知つた理由は、前に云うた活玉依毘売といふ方は大層美しい婦人でありました。ところが、こゝに、其の容姿も服装も世に比類無い立派な、神神しい貴人が有りまして、一日、真夜中に、ふと訪れて来ました。両人は互に相愛して夫婦の契を結び、同棲して居るうちに、程無く活玉依毘売は身重になりました。そこで、活玉依毘売の父母は、其の妊娠いたした事を怪しみまして、「おまへは確に妊娠したやうだが、夫も無いのに、どうして妊娠したのか」と訊ねますと、活玉依毘売が答へて申すのに、「立派な殿御の御名前も存じません御方が、毎晩おいでになりまして、同棲して居りますうちに、かやうに身重になりましたのでございます」と申しました。
 そこで、其の父母は、其の人が何人であるかを知りたく思ひまして、其の女の活玉依毘売に教へて言ひますには、「赤土を寝床の前に撒いて置き、又紡麻の糸巻の糸の端を針に通して置いて、男の来たときに、其の著衣の裾に針を刺して置きなさい」と教へました。女は教へられた通りにして置きましたが、翌朝になつて見ますと、針に著けた麻の糸は、戸の鍵穴から外に引き出されて居て、あとに遺つて居る糸は、僅に三勾だけでありました。そこで、鍵穴から出て行つたことが分りましたから、其の糸について尋ねて行きましたところが、美和山に行つて、神社の処に其の糸が留つてゐました。かやうな次第で、其の子が神の子であることが分つたのであります。又、麻の糸が三勾だけ遺つて居たのに因つて、其の地を美和と呼ぶのであります。此の意富多多泥古命は、神君、鴨君の先祖であります。

 

 

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古事記 上巻 天の石屋

 

 天照大御神が忌服屋に坐しまして、神御衣を織らせておいでになりました時に、須佐之男命は、突然に其の服屋の頂に穴を穿けて、天斑馬の皮を剥いで、其れを、そこから投げ入れなさいましたので、織機を織つて居た天衣織女が、これを見て、びつくり仰天した際に、手にして居た梭で、陰上のあたりを衝いた為めに、即死してしまひました。天照大御神はこれを御覧になり、大いに御驚きあそばして、天石屋の中に御入りになり、其の石屋戸を閉てゝ、籠り隠れておしまひになりました。それで、高天原も、葦原中国も、悉く真闇黒になつてしまつて、永い闇黒の夜が連きましたので、数知れぬ悪い神々が騒ぎ起つて、其の荒れ騒ぐ響は、恰も蠅の沸き起つた様に沸き上り、数知れぬ禍は、悉く起つて、人心は全く不安の底に陥つてしまひました。
 そこで、高天原の八百万の神々が、天安之河の河原に御集りになりまして、種々と御相談をなさいました結果、高御産巣日神の御子の、思金神といふ神に、天照大御神を石屋戸の中から御誘ひ出したてまつるべき方策を考へさせましたが、思金神の御考によつて、常世長鳴鳥を集めて、これを鳴かせ、それから、天安河の河上から、堅い石を採つて来て鉄碪と為し、また天金山から鉄を採つて来、天津麻羅といふ鍛工を召し出して、伊斯許理度売命に命じて、この天津麻羅を指図して、御鏡を御造らせになりました。また玉祖命に命じて、八尺の曲玉の五百箇の御統の珠を御造らせになり、尚また天児屋命と布刀玉命とを召し出して、天香山で獲た牡鹿の肩の骨を、丸抜きに抜き取つて、それを天香山から採つて来た波波迦といふ木で灼いて、太占の卜ひを行ひ、それから又、天香山から、枝葉の繁茂つてゐる常磐の色も見事な真賢木を根抜ぎにして来て、其の上の枝には、八尺の曲玉の五百箇の御統の珠を取著け、中の枝には、八咫鏡を取懸け、下の枝には、白和幣、青和幣を取著け垂らして、此等の種々の品物は、皆大御神にたてまつる御幣帛として、布刀玉命が此れを捧げ持つて奉り、また天児屋命は、鄭重な祝詞を奏し上げて、大御神の御出ましを御祈禱申し上げ、尚ほ又、天手力男神と申す神が、石屋戸の掖に隠れ立つて居て、大御神の御出ましを御待ち申すことゝいたしました。
 そればかりでなく、天宇受売命は、天香山から採つて来た日蔭葛を襷に懸け、真拆葛を髪飾の鬘となし、また天香山から採つて来た小竹の葉を束ねて、手草として手に持ち、それから天石屋戸の前に、中が空洞になつてゐる空槽を伏せて、宇受売命は其の上に立つて、足を踏み鳴し、神懸がした様な状態になつて、乳房も露はに胸を開けはだけ、裳の緒も下腹のところまで押下げて、番登が見える位になさいましたので、これを御覧になりました八百万神々は、高天原も揺り動くかと思はれるばかりに、一度にどつと御笑ひになりました。
 そこで、天照大御神は不審に思し召されて、天石屋戸を細目に開けて、内より仰せられますには、「わたくしがこの石屋戸に籠り隠れて居るからには、高天原も闇く、また葦原中国全体も真闇暗になつて、皆々当惑いたして居るであらうと思ふのに、何由に天宇受売は面白さうに歌ひ踊り、また八百万神も咲ひくづれて居るのであるか」と仰せられました。すると、天宇受売命は、「大御神様よりも勝れて貴い神様が居らせられますので、それで皆々が、此の様に歌ひ踊り咲ひ騒いで居るのでございます」と申し上げました。
 かやうに申し上げてゐる間に、天児屋命と布刀玉命が、彼の八咫鏡を指出して、天照大御神に御見せ申したので、天照大御神は、いよいよこれを不審に思し召されて、稍ばかり石戸の内から出て、外方を窺ひ御覧になりましたところを、かの石屋戸の掖に隠れ立つて居た天手力男神が、大御神の御手を執り奉つて、石屋戸の外へと御引出し申し上げてしまひました。此の時速く、布刀玉命は、尻久米縄すなはち注連縄を、大御神の御後方に控き渡して、「これから内へは、決して決して御入りあそばしますな」と申し上げました。
 かくて、天照大御神が御出ましあそばされましたので、高天原も、葦原中国も、自から明く照り輝きましたから、誰れも彼れも皆、歓喜び安心をいたしました。が、高天原の八百万神神は、御相談の上、速須佐之男命に千位置戸を出さしめ、また其の鬚と手足の爪とを切つて祓を行はしめ、その上、速須佐之男命を高天原から遠くの国へ逐ひ放ることにせられました。

 

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