八剣
シテ 日本武尊の神霊 ワキ 漢帝の勅使 ワキツレ 同上郎等 所 尾張熱田 時 春 次第「船漕出る葦原や。〳〵。日の本の国を尋ん。 ワキ詞「是は唐土漢の帝の勅使にて候。扨も帝一つの宝剣を箱に納給ふ所に。彼の御箱の内。夜な〳〵啼哭する声有。占方を以て勘ふるに。爰に日の本秋津洲の鎮守。天の村雲の剣と。今の寮の御剣とは夫婦也。一所になき事を悲しみ給ふと。勘文す。然らば則日本に渡り。彼剣を取て参れとの宣旨を蒙り。唯今海路に趣き候。 道行「霞こめ。月の夜船のいとゞしく。〳〵。松の気色はうき沈む。船路の旅のかぢ枕。ふる里忍ぶ夢もなし。天の戸渡る雁金は。越路に行ば我は又。いつ帰るさとしら浪の。早日の本に着にけり。〳〵。 シテ、一声「春の田を。人にまかせて我はたゞ。花に心や。つぐるらん。 ワキ詞「いかに是成老人に尋べき事の候。 シテ「不思議やな。此辺りにては。見馴申さぬ御姿也。そもいか成人にて御入候ぞ。 ワキ「是は唐土漢の帝の勅使也。扨爰をば焉くと申候ぞ。 シテ「さん候。爰は尾張の国熱田と申候。 ワキ「扨々熱田とは何の謂によつて申候ぞ。 シテ「抑当社を熱田と申は。景行天皇の皇子日本武。東夷追伐の御為に下り給ひ。夷を御心の儘に順へ給ひ。水石火石を奪ひ取て。西に向つて宣ふやう。此石落着の所に。跡を垂んと誓ひて投給ひしに。火石飛て此小田に落て。涌返りたる湯のごとくなれば。 歌同「夫より熱田と号しつゝ。〳〵。国土豊かのみぎん也。かゝる奇特の霊地ぞや。今末の代の民迄も。田を守る御代を。仰ぐなり。〳〵。 クリ、地「抑草薙の神剣三尺の光。真精国に帯。八剣朗らかにして。くす千里を治め給ふ。 サシ「然るに火石此小田に飛来して。 同「恵み熱田の稲莚。敷島におひてほまれあり。 シテ「蓬萊宮や余所迄も。 同「不死の薬の。名ぞしるき。 クセ「扨八剣と申事は。異国よりも草薙の剣を奪んとて。よき兵者をえらびけり。七武等将軍は七つの剣をしたがへ。敵を亡す謀事。名将軍に百万の。兵者を卒して。数千の船に取乗。波濤を凌ぎ楫を取。筑紫博多に押よする。住吉八幡両神は。是を照覧したまひ。船木の山の大岳に。影向ならせ給ひて。和光普き其奇特。夷退治の謀事。有難ふこそ覚ゆれ。 シテ「八百万代の神達は。 同「九万八千のあらみさき。狄の勢にあひ向ひ。散々に戦ひて七武等を討取。七つの剣をうばひ取り。本の剣と諸共に。当社に納め給ふなり。扨こそ世を治む。八剣の神と申なり。 ワキ詞「か様に委く語り給ふ。翁はいか成人やらん。 シテ「誰とは今は愚かなり。唐土人の爰に来り。彼御剣を盗み取て。二度異国に帰らんとや。 同「おろかなりける人ごゝろ。〳〵。昔の例しら浪の。又よせきても甲斐あらじ。帰れや帰れ月弓を。今ぞ顕はす村雲の。神剣を守護神ぞとて。かき消様にうせにけり。〳〵。 一声「梓弓。異国の兵者責掛て。力をそふる。嬉しさよ。 ワキ、カヽル「其時蒙古は下知をなして。夜も更社辺も静まりたり。彼御剣を奪はんと。 同「社壇の戸びらを押開き。〳〵。見ればうれしやうたがひも。七つの剣爰にあり。とく〳〵忍び入相の。かねての望みかなひつゝ。剣の御箱引出し。ひそかに守護し悦びて。異国へこそは急ぎけれ。〳〵。 後シテ「抑是は熱田の神霊日本武の尊也。扨も異国の蛮。当社ふりぬる神剣を盗取。帰国せんとや。荒愚かや戎共。其剣本の社内に納むべし。さらずばむくひをみすべしと。宣ふ御声の下よりも。御矛を揃へて。九万八千のあらみさきが。御さきを払らふ其よそほひ。天地も。鳴動おびたゞしや。 同「あれ〳〵見よや神集め。〳〵。利生のまゆみ。神通の鏑矢。雲の旗手。月日の光りも輝き出て。夜昼分かぬ。気色かな。 同「去ども蒙古の兵者は。〳〵。兼て期したる事なれば。皆一同にどつと懸れば。九万八千のあらみさき。はたほこを揃へてかゝり給ひ。神力隙なき神軍。去共蒙古透間なく。天地を動かし戦へば。さばかり心のあらみさきも。切立られてぞ見えたりける。 同「此時尊はいかりたまひ。〳〵て。件の御剣をするりとぬいて。数万の狄に立向ひ。神剣を虚空にふり給へば。剣の光りは天地に満々。かたきはことごとく肝をけし。眼もふさがり力も尽て。たをれふしてぞ見えたりける。(働) ワキ「斯て蒙古はおどろき噪ぎ。 同「斯て蒙古はおどろき噪ぎ。かうべを地につけ神慮に降参し。彼御剣を返し申せば。則受取社壇のきざはし踏ならし。翔りあがつて。本の如くに納め給へば。東夷西戎南蛮北狄。皆こと〴〵く諍ひも。七つの御剣と村雲の神剣と。其数今ぞ八剣宮に。納め給へる御代もたゞしき。神剣の奇特。〳〵は。唯是尊の神徳なり。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『宴曲十七帖 謡曲末百番』国書刊行会 編