観世流の「吉野静」は通常後場のみが上演されます。
これに「前入(まえいり)」の小書がつくと復曲された前場がつき、前後二場の金春流・喜多流の「吉野静」に近い内容となります。
宝生流・金剛流も後場のみの上演で、金剛流では前場の代わりにワキがこれまでのいきさつを語ります。

 

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プリントアウトの上、中央を山折りにし、端を綴じてご活用ください。

 

 

 

 

吉野静

シテ 静御前
ワキ 佐藤忠信
狂言 衆徒

所 大和吉野山

 

ワキ次第「定なき世は中々に。〳〵。憂き事や頼なるらん。抑これは判官殿の御内に仕へ申す佐藤忠信にて候。扨も頼朝義経御中不和にならせ給ふにより。判官殿は此御山を頼み御籠り候所に。衆徒心がはり仕候により。今夜此山を御開きにて候。さる間某は此山に残り。防ぎ矢射よとの御事。弓矢取ての面目と存じ。某一人此山に残りて候。承り候へば。大講堂に衆会の在る由申し候程に。都道者にまぎれ。大講堂に立越え衆徒の詮議を聞かばやと存じ候。
サシ「げにやたとへても憂きは変らぬ習とて。其古人は清見原の。天子の御身なりしかども大伴の皇子におそはれて。吉野の宮を出で給ひ。山野に迷ひ給ふとかや。痛はしや判官も世の讒言の晴れやらぬ。雲も奥ある吉野山。隠れ家ながら置きかぬる。御身の果こそ悲しけれ。さるにても我君判官は。何所の里如何なる所にかおはすらんと。心細くもそなたの空を。三吉野の霞の内の花の滝。〳〵。落ち行く方は白浪の。誰に吉野の奥やらん我身の果は恨めしや。隔てじものを君と我。心一つの二道を。暫しは頼む迷かな。〳〵。や。これに御入り候は静御前にて渡り候か。
シテ「御身は忠信にてましますか。
ワキ「さん候防矢仕れとの御事により。某一人留り防矢射。難なく君をも落し申して候。扨静は何とかなり給ふべき。返す〴〵も御いたはしうこそ候へ。
シテ「されば唐土の吉野山に籠る共。遅れじとこそ思ひしに。女の身とてはかなくも。捨て残さるゝ三吉野の。山路に迷ひ里に下りて。今迄かうで候。
ワキ「や。大講堂に当つて貝鐘の音の聞え候。これは推量仕りて候。我君を追かけ申すべき衆会の貝鐘にて候べし。きつと物を案じ出したる事の候。御身は勝手の御前に御参り候ひて。神法楽の舞を御舞ひ候へ。我らは又都道者の体にて。勝手の御前へ参り候はば定めて衆会の面々都の事を尋ね申すべし。終には御中直りの由を申し。兎角時刻をうつし。我君を心静に落し申さうずるにて候。か様に心はめぐらせ共。身は唯独忠信が。思ひ迴らす計りの事。末あらはれば如何ならん。
シテ「思へば涙三吉野の。よし遁れずと君をだに。落し申さばそれ迄ぞと。
地「思ひ切りつゝ忠信は。〳〵。衆徒の詮議に参らんと大講堂に出でければ。
シテ「静は其まゝ。
地「勝手の御前に参りけり〳〵。(中入)
ワキ「これは都道者にて候が。か様の衆会の御座敷とも存ぜず候。御免候へ。御兄弟の御事にて候程に。終には御中直りの由申し候。
狂言「シカ〴〵。
ワキ「唯十二騎にて御開きと申し候。
狂言「シカ〴〵。
ワキ「暫く。十二騎と申せども。かた〴〵百騎二百騎にも勝りたる兵達にて候程に中々思し召し留り候へ。かやうに申すは都の者。当山を信じ参る上は。いかにも御寺も宿坊も。難なくおはしませかしと。思へばかやうに申すなり。此上は兎も角も。
地「御はからひぞ吉野山。〳〵。よしなき申し事。洩れ聞えなば判官の。後のとがめもおそろしや御暇申し候はん〳〵。
シテ「さても静は忠信が。其契約を違へじと。舞の装束かきつくろひ。忠信遅しと待ちければ。
ワキ詞「これは都道者にて候が。静の法楽の舞の由承り候ひて。下向道を忘れて候。とてもの法楽なるべくは。今少し舞を御はやめ候へ。
シテ「何のう都の人と聞けばなつかしや。義経御道せばき事。世上の聞えいかなるぞ。都人こそ知るべけれ。
ワキ詞「終には上は御一体と。聞くより都は先非を悔ひて。皆々恐れ申すなり。
シテ「扨はうれしや我君を。くはしく知るか都人。
ワキ詞「あまりに事延び時うつりぬ。急がせ給へ舞の袖。
シテ「げにのう言葉多き者は品すくなし。かやうに我等ことはり過ぎば。なか〳〵人もあやしめて。もしもそれとか三吉野の。かつて知らすな。
一声「静に囃せや。静が舞に。
地「衆徒もいきどほりを忘れけり。
シテ「神もや納受し給ふらん。
地「げに此御代の静が舞。
クリ「それ神は人の敬ふによつて威をまし。人は又神の加護によれり。
シテサシ「然るに彼判官は。神道を重んじ朝家をうやまひ。
地「頗る忠勤をぬきんでゝ。私のかへりみ更になし。
シテ「人讒し申すとも。
地「神は正直のかうべに宿り給ふなれば。静が舞の袂に。暫くうつりおはしまし。義経を守り給へと。祈るぞ哀なりける。
クセ「そも〳〵景時が。その讒言の水上を。思へば渡辺や。流るゝ水に満汐の。逆櫓たてんと浮船の。梶原が申しし事。よも順義にて候はじ。されば義経は。すぐに治めし三吉野の。神のちかひの真あらば。頼朝も聞しめし直され。義経執節の勅を受け。洛陽の西南は。これ分国となるべし。さあらば当山の。衆徒こと〴〵く参洛し。帰依渇仰の御袖に。めぐみをいだき給ふべし穴賢。不忠なし給ふな御咎は候はじ。
シテ「但し衆徒中に。猶いきどほり深うして。
地「進みて追つかけ給ふとも。其名きこゆる人々を。討ちとゞめ申さんは。片岡増尾鷲の尾。さて忠信はならびなき。精兵ぞよ人々に。防ぎ矢射られ給ふなと。語ればげには衆徒中に進む人こそなかりけれ。賤やしづ。(序の舞)
シテ「賤やしづ。賤の苧環。くり返し。
地「昔を今に。なすよしもがな。大方舞のおもしろさに。〳〵。時刻をうつして進まぬもありけり。又は判官の武勇に恐れてよし義経をばおとし申せと。詮議を加ふる衆徒も有りけり。さるほどに時うつゝて主君も今は忠信が。賢き謀に難なく君をば落し申し。心しづかに願成就して。都へとてこそ。帰りけれ。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著『四流対照 謡曲二百番 下巻』芳賀矢一 訂

 

ワキ詞「これは都道者にて候。衆会の御座敷とも存ぜず候御免あらうずるにて候。
狂言「さては都人にて候か。判官殿の御行方をば何と申し候ぞ。
ワキ「上は御一体なれば。終には御中なほらせ給ふべき由申し候。
狂言「さていかやうにて御落ち有りたると申し候。
ワキ「十二騎とこそ承つて候へ。
狂言「十二騎ならば追つかけ討ちとめ申さう。
ワキ「暫く。十二騎と申すとも。余の勢百騎二百騎にもむかふべし。かやうに申すは都の者。当山を信じ参る上は。いかにも御寺も宿坊も。難なくおはしませかしと。思へばかやうに申すなり。此上は兎も角も。
地「御はからひぞ吉野山。〳〵。よしなき申し事。洩れ聞えなば判官の。後のとがめもおそろしや御暇申し候はん〳〵。
シテ「さても静は忠信が。其契約を違へじと。舞の装束ひきつくろひ。忠信遅しと待ち居たり。
ワキ詞「これは都道者にて候が。法楽の舞の由承り。下向道を忘れて候。はや〳〵舞を始め候べし。
シテ「都の人と聞けばなつかしや。判官御道せばき事。世上の聞えいかなるぞ。都人こそ知るべけれ。
ワキ詞「終には御中なほらせ給ふべしと。聞くより人々先非を悔ひて。皆々恐れ申すなり。
シテ「扨はうれしやくはしくも。知らせ給ふか都人。
ワキ詞「あまりに事延び時うつりぬ。心得給へ舞の袖。
シテ「げにのう言葉多き者は品すくなし。かやうに我等言の葉過ぎば。なか〳〵人もあやしめて。もしもそれとか三吉野の。かつて知らすな。
一声「静に囃せや。静が舞に。
地「衆徒も時刻や。移すらん。
シテ「神こそ納受ましますらめ。
地「げに此御代も静が舞。
シテサシ「然るに彼判官は。神道を重んじ朝家をうやまひ。
地「ひとへに忠勤をぬきんでゝ。私の心更になし。
シテ「人は讒し申すとも。
地「神は正直のかうべに宿り給ふなれば。静が舞の袂に。暫くうつりおはしまし。我君を守り給へと。祈るぞ哀なりける。
クセ「そも〳〵景時が。その讒言の水上を。思へば渡辺や。流るゝ水に満汐の。逆櫓たてんと浮船の。梶原が申しし事。よも順義にて候はじ。されば義経は。すぐに治めし三吉野の。神のちかひの真あらば。頼朝も聞しめし直され。義経執節の勅を受け。洛陽の西南は。これ分国となるべし。さあらば当山の。衆徒こと〴〵く参洛し。帰依渇仰の御袖に。めぐみをいだき給ふべし穴賢。不忠なし給ふな御咎は候はじ。
シテ「但し衆徒中に。猶いきどほり深うして。
地「進みて追つかけ給ふとも。其名きこゆる人々を。討ちとゞめ申さんは。片岡増尾鷲の尾。さて忠信はならびなき。精兵ぞよ人々に。防ぎ矢射られ給ふなと。語ればげには衆徒中に進む人こそなかりけれ。
シテ「賤やしづ。(序の舞)
シテ「賤やしづ。賤の苧環。くり返し。
地「昔を今に。なすよしもがな。あまりに舞のおもしろさに。時刻をうつして進まぬもありけり。又は判官の武勇に恐れてよし義経をばおとし申せと。詮議を加ふる衆徒も有りけり。さるほどに時うつゝて主君も今は忠信が。謀にて難なく遥かに落し申しつ。心しづかに願成就して。都へとてこそ。帰りけれ。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著『四流対照 謡曲二百番 下巻』芳賀矢一 訂

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