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龍虎

観世小次郎作


ワキ 日本僧
シテ 樵の翁
ツレ 樵夫


ワキ 前に同じ
ツレ (謡なし)龍
シテ 虎

地は 唐土
季は 春

ワキ次第「法の道にと思ひ立つ。〳〵。波路遥けき船路かな。
詞「是は諸国一見の僧にて候。我若年の時よりも。諸国修行の志あるにより。日本をば残らず見廻りて候。又承り及びたる仏法流布の跡を尋ね。入唐渡天の望みあつて。此間は九州博多の津に候ふ処に。よき便船の候ふ間。此春思ひ立ち渡唐仕り候。
道行「天の原。八十島かけて漕ぎ出づる。〳〵。船路の末も不知火の。筑紫を跡になしはてゝ。行くへにつゞく雲の波。霞を分くる海原に。又山見えて程もなく。早唐に着きにけり。〳〵。
ワキ詞「あらうれしや候。遥々と思ひしに。仏神の御加護もや有りけん。行人安穏に布帆恙もなく渡唐仕りて候。心静かに所々を一見せばやと存じ候。実にや江霞浦を隔てゝ人煙遠し。湖水天に連なつて雁点遥かなり。詠めやる遠山本の村竹の。霞みこめたる面白さよ。又是なる岨づたひを山人の来り候。此者を待ち名所をも尋ねばやと存じ候。
シテ、ツレ一声「折を得て。春の薪にさす花の。匂ひを運ぶ山おろし。
ツレ「谷の下庵はる〴〵と。
二人「霞に遠き詠めかな。
シテサシ「五嶺蒼々として雲往来す。たゞ憐む大庾万株の梅。
二人「梢も殊に色深き。木陰によれば心なき。身にもあはれは有明の。つれなき命ながらへて。又廻り逢ふ春べかな。誠に知んぬ老も。風情少なき有様を。
歌「見る度に。かはる姿やます鏡。〳〵。移る月日は程もなく。昨日は少年。今日白頭の雪とのみ。積り〳〵て老が身の。春の光りに当れども。わびしき業を柴取りて。帰る山路の苦しさよ。〳〵。
ワキ詞「如何に是なる山人に尋ね申すべき事の候。
シテ詞「不思議やな見馴れ申さぬ御姿なり。いかさま是は入唐の沙門にて御座候ふな。
ワキ「実によく御覧じて候ふものかな。我日本より此国に渡り。仏法流布の古跡を尋ね。是より渡天の志あるにより。遥々思ひ立ちて候。
シテ「さては渡天の御為めかや。昔は聞きつ近き世には。有難かりける御事かな。
ツレ「実に痛はしや遥々と。行くへも遠き旅衣の。
シテ「立ち出で給ひし日本の。仏法東漸を振り捨てゝ。
ワキ「去り来し法の跡遠き。
シテ「昔語りを今さらに。
ワキ「誰か委しく。
シテ「夕月夜。
地「星の国にと行く雲の。〳〵。はてしはあらじ人心。心せよ胸の月。よその光りを尋ねても。何にかはせんまのあたり。見るを尋ぬるはかなさよ。〳〵。
ワキ詞「かゝる面白き御答へこそ候はね。先々尋ね申したき事の候。見え渡りたる山河のけしき。何れも妙なる詠めの内に。あれに霞める遠山本の。向ひに見えたる竹林に。俄に雲の打ち掩ひ。風冷ましく吹き落ちて。さながら気疎き其けしき。是は如何なる事やらん。
シテ詞「実に御不審は御理。あの竹林の岩洞は虎の住家にて候ふを。向ひに見えたる高山より。常々雲の掩ひつつ。龍虎の戦ひある物を。
ワキ「不思議の事を聞く物かな。音に聞きしをまのあたり。龍虎のあらそふ其有様を。今見る事の不思議さよ。
シテ「畜類なれどもかくの如く。其勢を顕はして。
ワキ「何をかさのみ。
シテ「あらそひの。
地「蝸牛の角の上にして。はかなや何事を。争ひは人の身も。かはらぬ物を世の中の。習ひなればや畜類の。戦ふ事も理や。〳〵。
ワキ詞「猶々龍虎の戦ひの有様委しく御物語り候へ。
地クリ「それ生を受くる者。其身の威勢を争ふ事。人間以て是に同じ。必ず龍虎に限るべからず。
シテサシ「然れば金龍雲を穿ち。猛虎深山に風を起す。
地「何れも勢妙にして。互の勢を争ふ事。畜類といへども位高く。雲井に住めば龍虎の紋。
シテ「帝の御衣にも之を織り。
地「殊に天子の御顔を。龍顔と申し御乗物を。龍駕とも又名づけたり。
クセ「さて又虎はかりそめに。住むも千里の道しめて。住家と定むとか。もとより竹は直にして。内の清きを我友と。頼む千尋の陰清く。曇らぬ法の道を知る。羅漢に仕へ奉る。又は四睡の一つにも。顕はれけると聞く物を。龍吟ずれば雲起り。虎嘯けば風生ずと。聞きしもまのあたり。見るこそ不思議なりけれ。
シテ「是ぞ和国の物語。
地「委しく猶も見給はゞ。此山陰の岨づたひ。竹の林の此方なる。巌の陰に立ちよりて。身を隠し見給へと。夕日も傾きぬ。暇申さんと結ふ柴の。薪を肩に打ち懸けて。谷の下道はる〴〵と。家路をさして下りけり。〳〵。(中入)
ワキ「さても不思議や山人の。教へのまゝに山路を分け。竹林を遥かに見渡せば。煙葉蒙籠として夜の色を侵す。風枝蕭颯として秋の声より冷ましや。
地「あれ〳〵嶺より雲起り。〳〵。俄に降りくる雨の音。鳴神稲妻。天地に耀く光りの内に。顕はれ出づる金龍の勢。遥かによそめも肝を消し。身の毛もよだつばかりなり。
地「かくて黒雲竹林におほひ。〳〵。おほひかゝると見えつるが。竹林の岩洞にこもれる虎の。顕はれ出づれば岩屋の内より。悪風を吹き出だし。一方に雲を吹き返し。敵を追手にいきほひ勇む。恐ろしかりける気色かな。
地「かゝりける所に。〳〵。金龍雲よりおり下つて。悪虎を取らんと飛んでかゝり。飛龍の戦ひ隙もなし。
シテ「もとより虎乱の勢猛く。
地「もとより虎乱の勢猛く。左も右も剣の如くに。竹枝を折つて金龍にかゝれば。悪虎を巻かんとおほひかゝるを。背けて追つゝめ食はんとすれば。金龍雲井に遥かに上れば。悪虎はいきほひ巌に上り。はるかに見送り。無念の勢あたりを払ひ。又竹林に飛び帰つて。其まゝ岩洞に入りにけり。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第二輯』大和田建樹 著

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