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和田酒盛

祐成 曽我十郎
虎 大磯遊君
義盛 和田小次郎
トモ 同従者
狂言 虎の従者
母(狂言) 虎の母
朝比奈 朝比奈三郎
時致 曽我五郎

地は 相模
季は 四月

祐成詞「是は曽我の十郎祐成にて候。さても頼朝富士の御狩に御出で候。定めて敵の祐経も。御供申さぬ事あるまじ。我等も人並に罷り出で。何ともして祐経を討たばやと存じ候。此度御供申し。故郷へ帰らん事も難う候へば。大磯に罷り越し。虎に暇乞申さばやと存じ候。
虎サシ「あの唐櫃の中なる物具を。夫の十郎殿に着せ申し。思ふ本望遂げさせばやと。思へばぬるゝ袂かな。
祐成「祐成は。かくと聞くより磯の波。〳〵。立ち寄らばやと思へども。さしも弟時致が。言ひし事よと扣へたり。
虎「虎もそれぞと見なしつゝ。悲しやな思はずも。思はれ顔の言の葉を。言ひつる事よ今更に。面ぐるし恥かしや。
祐成「げにや契は浅からぬ。とは思へども言の葉に。なるもならぬも山城の。こまのわたりにあらねども。瓜田に沓を履み捨て。李下に冠をたゞさゞれと。いへどもさすが逢ふ事の。烏帽子直垂かきつくろひ。如何に珍しやと。いふばかりなき心かな。
義盛「是は和田の義盛にて候。若宮八幡に社参申し。只今下向申し候。又是より大磯へ立ち越え。虎に酒を一つすゝめばやと存じ候。誰かある。
トモ「御前に候。
義盛「長者が処へ立越え。会所に各ある間。虎に出でゝ酌とれよと申し候へ。
トモ「畏つて候。如何に此内へ案内申し候。
狂言「誰にて渡り候ふぞ。
トモ「和田の義盛と申され候。会所に皆々ある間。虎御前に出でゝ酌を御取りあれと仰せられ候。
狂言「暫く御待ち候へ。やがて御返事を申さう。
狂言「如何に申し候。和田の義盛御出で候ひて。虎御前に御酒一つ申し度き由仰せ候ひて。会所に皆々御座候。急ぎ御出でありお酌を取られよと仰せ候。
母「あらめでたや。虎に其よし申し候へ。
狂言「如何に虎御前に申し候。和田の義盛其外御一門。皆々御座候ふ間。御出であれと仰せ候。
虎「安き程の事には候へども。今朝より何とやらんまどひて候ふ程に。時移つて参るべきよし申し候へ。
狂言「其よし虎御前に申して候へば。今朝より何とやらん御心地まどひて候ふ程に。重ねて御出であるべきと仰せ候。
母「さて十郎殿は渡り候ふか。
狂言「さん候。
母「それは十郎殿事を思ひて。出づまじきよし申し候。十郎殿に此よしを申せ。此度座敷へ虎が出でぬは。何とも長が迷惑ぢや。あの義盛は頼朝の御事をさへ申さるゝまゝぢや。まして我等ていの者は。御意に背きては。此処の住居かなふまい。何ともして御座敷へ出づるやうに御申しあれと申せ。もし虎が出でずは。十郎殿重ねて大磯がよひ無益ぢやと申せ。あら腹立や〳〵。
狂言「如何に申し候。御異見あり御出だし候へ。もし御出でなくは。重ねて十郎殿御出で叶ふまじきよしを仰せ候。
祐成「是にて委細承りて候。如何に虎御前。只今母御より仰せ候ふは。此度御出でなくは。重ねて我等が参ずる事もむやくと仰せ候。真平我等にめんじ給ひ。御出であつて給はり候へ。
虎「仮ひ母の御勘当は蒙るとも。座敷へは出づまじく候。
祐成「あら有難の人の言葉やな。かほど志深き人を。座敷へ出ださぬ物ならば。末代曽我の家の恥辱さりながら。さても無念の次第かな。今日この頃祐成が。頼めたらん遊君に。出でゝ酌とれといはうずる者こそ覚えね。昔は伊藤北条畠山とて。劣り勝る事は無けれども。君に捨てられ申し。此仕義なれば身を恥ぢて。
地「はや御出での山吹の。〳〵。口なしなれやともかくも。返事はなくて泣くばかり。
祐成「あはれげに。世が世ならば疾くにも迎へ取るべきに。心と憂き目を見する事よ。思へば侍の。貧ほどの恥はよもあらじ。
詞「如何に虎御前。某も座敷へ出で候ふ程に御出で候へ。
虎「あら嬉しや。さらば参らうずるにて候。
祐成「義盛の御出で。又朝比奈殿御出での由申し候ふ間罷り出でゝ候。
義盛「御出で祝着申して候。
母「如何に虎御前。此盃にて一つ飲み。何方へなりとも。思はうずる人の方へさし給へ。
虎「うたての母御の仰やな。思ひざしとはさて如何に。
地「虎は盃しづかに取り上げ。〳〵。人づてにさゝば奪はれやせんと。身づから酌とり義盛に向ひ。思ひざしと承れば。思はずざしは偽に。ならんも恥かし。十郎殿とさしおきけり。
祐成「祐成左に盃うけとり。のがれんかたも。片膝おしたて思ひ定め。
虎「如何に義盛。朝比奈聞き給へ。思ひざしは力なし。よその恨よもあらじと。とう〳〵受けてぞ飲みにける。
義盛「如何に祐成。思ひざしを飲むは習ひ。など一礼はなきぞ。誰かある。祐成をおつたて候へ。
朝比奈「暫く。めん〳〵静まり候へ。如何に祐成。親にて候ふ者は忘却いたし。筋なき事を申し候。某に御放心候へ。
祐成「あふ中々の事。某を追ひ立てん者は。天が下には覚えぬなり。但し義盛立ち給はゞ。祐成も立たん。
地「三浦の一門九十三騎。我も〳〵と長刀太刀の。鍔元くつろげ。かけよげに見えたりける。
祐成「時致つね〴〵申すことは。
地「時致つね〴〵申す言葉の。末こそ今は恥かしう候へ。大事のかたきを持ち給ふ御身の。大磯がよひを止まり給へと。くれ〴〵申しゝを。知らず顔にて年月かよひ。只今こゝにて死なん命。弟といひながら。他人よりも。時致こそは恥かしけれ。(時致出づる)
地「朝比奈は是を見て。〳〵。さては時致五郎殿か。はや出で給へと座敷を立つて。障子のはづれに漏れ出でたる。五郎が具足の草摺三ながれ。たゝみあげてえいやと引けば。
時致「時致も朝比奈が。
地「力を三浦江出でし所に。少しも騒がずふんばつたり。互に上にはさらぬやうにて。下にてえいや〳〵と相引の。革横縫をばらりと引き切り。朝比奈うしろへはたところべば。たはぶれぞかしと祐成立つて。朝比奈をば抱き立て。五郎をば引き出だせば。兄が手にはやす〳〵と。引かれて出づる杣板の。目をさましたる酒盛かな。
義盛「あつぱれ箱根にて見し時よりも。御器量いやまして候ふさりながら。少し此処をくつろげられ候へ。
時致「我兄弟は貧なる者にて。御前へ出づる事なければ。座敷のやうをも知らぬなり。
祐成「如何に時致。是へ出で一さし舞ひ給へ。
時致「さらば朝比奈と相舞に舞はうずるにて候。
朝比奈「中々相舞に舞ひ申さう。
地「目をさましたる酒盛かな。(二人男舞)
地「舞の手に。〳〵。あまたの品あり。桑を採る採桑老。桴をとるはつちやう。蛇をとる還城楽。さて一さしは扇の花房。かざしの袂。いろ〳〵なるに。是は引きかへて。さす手も太刀刀。引く手も腰刀。五郎も朝比奈も。舞をば舞はで誠は腕立。事長引かば悪しかりなんとて。兄弟に虎親子。朝比奈に義盛。引き分け引き連れ。舟や車の和田にて帰れば。曽我にと急ぐ。事ゆゑなきこそめでたけれ。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第二輯』大和田建樹 著

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