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大江山 古名 酒呑童子

宮増作

ワキ 源頼光
ワキヅレ 同行山伏六人
狂言 侍女
シテ 酒呑童子

地は 丹波
季は 秋

ワキ、ツレ一声「秋風の。音にたぐへて西川や。雲も行くなり大江山。
ワキサシ「抑是は源の頼光とは我事なり。さても此度丹波の国。大江山の鬼神の事。占方の言葉にまかせつゝ。頼光保昌に仰せ付けらる。
ツレ山伏「頼光保昌申すやう。たとひ大勢有りとても。人倫ならぬ化生の者。いづこを境に攻むべきぞ。
ワキ「思ふ子細の候ふとて。山伏の姿に出で立ちて。
ツレ「兜にかはる兜巾を着。
ワキ「鎧にあらぬ篠懸や。
ツレ「兵具に対する笈を負ひ。
ワキ「其ぬし〳〵は頼光保昌。
ツレ「貞光季武綱公時。
ヒトリ武者「又名を得たる一人武者。
ツレ「彼是以上五十余人。
ワキ「まだ夜の内に有明の。
地「月の都を立ちいでゝ。〳〵。行末問へば西川や。波風たてゝ白木綿の。御祓も頼もしや。鬼神なりと大君の。恵に漏るゝ方あらじ。唯分け行けや足引の。大江の山に着きにけり。〳〵。
狂言「如何に童子の御座有るか。
シテ詞「童子と呼ぶは如何なる者ぞ。
狂言「山伏達の御入り候ふが。一夜の御宿と仰せられ候。
シテ「何と山伏達の一夜の御宿と候ふや。恨めしや桓武天皇に御請申し。我比叡山を出でしより。出家には手をさゝじと。かたく誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候へ。
シテ詞「いかに客僧達。何くよりいづかたへ御通り候へば。此隠家へは御出でにて候ふぞ。
ワキ詞「さん候ふ是は筑紫彦山の客僧にて候ふが。麓の山陰道より道に踏み迷ひ。前後を忘じたゝずみ候ふ所に。今宵の御宿何より以て祝著申し候。さて御名を酒呑童子と申し候ふは。何と申したる謂にて候ふぞ。
シテ「我名を酒呑童子と云ふ事は。明暮酒をすきたるにより。眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見彼を聞くにつけても。酒ほど面白きものはなく候。客僧達もきこしめされ候へ。
ワキ「仰せにて候ふ程に一つ下され候ふべし。又此山をばいつの頃よりの御居住にて候ふぞ。
シテ「我比叡の山を重代の住家とし。年月を送りしに。大師坊と云ふえせ人。嶺には根本中堂を建て。麓に七社の霊神をいはひし無念さに。一夜に三十余丈の楠となつて奇瑞を見せし所に。大師坊一首の歌に。阿耨多羅三貌三菩提の仏たち。我立つ杣に冥加あらせ給へとありしかば。仏たちも大師坊にかたらはされ。出でよ〳〵と責め給へば。力なくして重代の。比叡のお山を出でしなり。
ワキ「さて比叡山を御出でありて。其まゝこゝに御座ありけるか。
シテ「いや何くとも定めなき。霞にまぎれ雲に乗り。
ワキ「身は久方の天ざかる。鄙の長路や遠田舎。
シテ「御身の故郷と承る。筑紫をも見て候ふなり。
ワキ「さては残らじ天が下。天ざかる日のたてぬきに。
シテ「飛行の道に行脚して。
ワキ「あるひは彦山。
シテ「伯耆の大山。
ワキ「白山立山富士の御嶽。
シテ「上の空なる月に行き。
ワキ「雲の通路帰り来て。
シテ「猶も輪廻に心ひく。
ワキ「都のあたり程近き。
シテ「此大江の山に籠り居て。
ワキ「忍び〳〵の御住居。
シテ「隠れすまして有りし処に。今客僧達に見顕はれ申し。通力を失ふばかりなり。
ワキ「御心安く思しめせ。人に顕はす事あるまじ。
シテ「うれしゝ〳〵一筋に。頼み申すぞ一樹の陰。
ワキ「一河の流を汲みて知る。心は本より慈悲の行。
シテ「人をたすくる御姿。
ワキ「我はもとより出家のかたち。
シテ「童子もさすが山そだち。
ワキ「さも童形の御身なれば。
シテ「あはれみ給へ。
ワキ「神だにも。
地「一児二山王と立て給ふは。神を避くるよしぞかし。御身は客僧。我は童形の身なれば。などかあはれみ給はざらん。かまへてよそにて。物語りせさせ給ふな。
地「陸奥の。安達が原の塚にこそ。〳〵。鬼こもれりと聞きし物を。誠なり〳〵。こゝは名を得し大江山。幾野の道は猶遠し。天の橋立よさの海。大山の天狗も。我にしたしき。友ぞと知ろしめされよ。いざ〳〵酒を飲まうよ。〳〵。さてお肴は何々ぞ。頃しも秋の山草。桔梗刈萱我木香。紫苑と云ふは何やらん。鬼の醜草とは。誰がつけし名なるぞ。
シテ「げにまこと。
地「げにまこと。丹後丹波の境なる。鬼が城も程近し。頼もし〳〵や。飲む酒は数そひぬ。面も色づくか。赤きは酒の科ぞ。鬼とな思しそよ。恐れ給はで。我に馴れ〳〵給はゞ。けうがる友と思しめせ。我もそなたの御姿。打ち見には。〳〵。恐ろしげなれど。馴れてつぼいは山伏。猶々めぐる盃の。たび重なれば有明の。天も花に酔へりや。足本はよろ〳〵と。たゞよふかいざよふか。雲折り敷きて其まゝ。目に見えぬ鬼の間に入り。荒海の障子おし明けて。夜の伏処に入りにけり。〳〵。(中入)
ワキ「すでに此夜も更方の。空なほ闇き鬼が城。鉄の戸びらをおし開き。見れば不思議や今までは。人の形と見えつるが。
地「其丈二丈ばかりなる。〳〵。鬼神の装ひ。眠れるだにも勢の。あたりをはらふ気色かな。かねて期したる事なれば。とても命は君のため。又は神国氏社。南無や八幡山王権現。我等に力をそへ給へと。頼光保昌綱公時。貞光季武一人武者。心を一つにして。まどろみ伏したる鬼の上に。剣を飛ばする光りのかげ。稲妻震動おびたゝし。
シテ「情なしとよ客僧達。偽あらじと云ひつるに。鬼神に横道なきものを。
ヒトリ武者詞「何鬼神に横道なしとや。
シテ「中々の事。
ヒトリ武者「あら空言やなどさらば。王地に住んで人を取り。世の妨げとはなりけるぞ。我をば音にも聞きつらん。保昌が館に一人武者。鬼神なりとも遁すまじ。ましてや是は勅なれば。土も木も我大君の国なれば。いづくか鬼の宿りなるらん。
地「余すな洩らすな。攻めよや攻めよ人々とて。切先を揃へて切つてかゝる。
地「山河草木震動して。〳〵。光り満ちくる鬼の眼。たゞ日月の天つ星。照りかゝやきてさながらに。おもてを向くべき様ぞなき。
ワキ「頼光保昌もとよりも。
地「頼光保昌もとよりも。鬼神なりともさすが頼光が。手なみにいかで洩らすべきと。走りかゝつてはつたと打つ手に。むずと組んで。えいや〳〵と組むとぞ見えしが。頼光下に組み伏せられて。鬼一口に食はんとするを。頼光下より刀を抜いて。二刀三刀さしとほしさしとほし。刀を力にえいやとかへし。さもいきほへる鬼神を押しつけ。いかれる首を打ち落し。大江の山をまた踏みわけて。都へとてこそ帰りけれ。

底本:国立国会図書館デジタルコレクション『謡曲評釈 第五輯』大和田建樹 著

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