周の穆王が西方へ巡行された時のことである、崑崙山を越えて、西極の弇山までは行かずに引きかへしたが、まだ支那の領分には入らない中に、途中で一人の技術者を献ずる者があつた
技術者の名を偃師といふ、穆王は偃師を呼び出してお尋ねになる。
「お前は何んな細工が出来るか?」
偃師
「何んなものでも、仰せのまゝに造ります、併し、もう出来上つてるものが一つございますからそれをご覧願ひたうございます。」
穆王
「それでは、後でそれを持つて来るやうに、お前の居る所で一見しやう。」
翌日偃師は王に拝謁を願ふ、王は之れを御前に通す
「お前と一所に来たのは何者である?」
「私の造りました人物でございまして唱歌を上手にいたします。」
王は驚いて其起居動作をよく見るが、全く人間の通りである、実に巧みなもので、首を揺ごかすかと思ふと歌ひ出し、手を挙げたかと思ふと踊り出す、そしてそれが一々音律に協い節度に合して居る、王は其の千変万化して、身振り手振り皆思ふがまゝなのを見て、到底人形であらうとは思へなかつた、そこで王は奥からお気に入りの佳人や、取つておきの美女を呼び出し、お側に居並らんで見物させられたのであつたが、もう舞が終る時分になつて、踊手は大胆にも目まぜをしてお側の美人に相図をしかけた。王は之れを見て烈火の如くに怒り、其場を立たせず偃師を斬り殺さうとしたので、偃師は慄ひ上つて仕まひ、やにはに件の踊手を打ち壊はして仕まつた。
王が見ると、成る程木や革を膠や漆でつなぎ合はせ、それに五色の絵具を適当に施して作り上げたものである、猶ほ能く調べて見ると、肝臓、胆臓、心臓、肺臓、脾臓、腎臓、胃腸、等の五臓六腑は勿論、筋肉、骨骼、関節、皮膚、歯牙、毛髪まで一つとして備はらんものはないが、皆作り物である、組合せると復たもとの活きた人間になる。王が試しに其心臓を取り去ると、口がたゝなくなり、肝臓をはづすと目が見えなくなり、腎臓をはづすと足がきかなくなる
そこで王は大に喜び、人の技巧が造化と同じ様にいくものであらうかと嘆称し、弐車に載せて都へ帰へられた。昔魯の公輸般は雲梯を作つて難攻の城を落とし、墨子は木で鳶を作つて三日の間飛ばして、各々人間能力の極を窮めたものと思ふて居つた、そこへ二人の弟子の東門賈と禽滑釐とは夫々其師のもとに往つて偃師の話をすると、二人は我技の至らざる事を恥ぢて、時に墨縄や曲尺を手にすることはあつても、一生技芸の話をしなかつた。
底本:
国立国会図書館デジタルコレクション『現代語訳 老子・列子』 野村岳陽 訳