まえがき
若州
永享六年五月四日、都を出で、次日、若州小浜と云泊まりに着きぬ。此処は、先年も見たりし処なれども、今は、老耄なれば、定かならず。見れば、江廻り〳〵て、磯の山、浪の雲と連なつて、伝へ聞く、唐土の遠浦の帰帆とやらんも、斯くこそ、思ひ出られて、 歌う〽 船泊むる、津田の入海、見渡せば、〳〵、五月も早く、橘の、昔こそ、身の若狭路と見えしものを、今は老の後背山、され共、松は緑にて、木深き梢は、気色立つ、青葉の山の夏陰の、海の匂ひに映ろひて、差すや潮も、青浪の、さも底ひ無き、水際哉、〳〵。青苔衣帯びて、巌の肩に懸かり、白雲帯に似て、山の腰を囲ると、白楽天が詠めける、東の船、西の舫、出で入る月に、影深き、潯陽の江の頭、斯くやと、思ひ知られたり。
〔口訳〕永享六年五月四日に都を出て、翌日若狭国小浜といふ港に到着した。此の土地は、いつぞや来遊した所ではあるが、今はもう老耄の身なので、記憶も朦朧たるものである。眺めやると、入江は廻り廻つて、磯山は浪の雲に連なり、伝へ聞いて居る唐土の「遠浦の帰帆」とかいふ風光も、かやうなものであるまいかと思ひ出される。船の碇泊して居る津田の入海を見渡すと、早くも橘の香る五月にもなり、その香に偲ばれる昔では、我身も国の名に通ふ年若い青年であつたのだが、今は後背山の名にも似た老後の身だ。しかし、松は若々しい緑で、木深い梢は青葉に美しく景色立ち、青葉山の夏蔭は、海の輝かしい色に映じ、さし来る潮も緑の波を漂はせ、底ひ知られぬ碧々とした海岸である。「青苔衣を帯びて巌の肩にかかり、白雲帯に似て山の腰をまはる」と、唐の白楽天が詠じたといふ、東船西舫が出入し、月の出で入りにつけても趣きの深い、唐の潯陽の江頭も、かやうな所だらうと思はれたことである。
底本:国立国会図書館デジタルコレクション『世阿弥十六部集評釈 下巻』能勢朝次 著