💡 古典を読む 京極為兼を伝える書物はこちら

 

冊子型のPDFファイルをダウンロードしていただけます。
プリントアウトの上、中央を山折りにし、端を綴じてご活用ください。

 

 

 

 

時鳥

只ことば〽 さて、西の方を見れば、入海の浪、白砂雪覆ひて、皆白妙に見えたる中に、松林一簇見えて、まことに春六月の景色なるべし。この内に、小堂まします。八幡宮勧請の霊祠也。されば、所をも八幡と申。敬神の為参詣せしに、爰に不思議なる事有り。都にては、待ち聞きし時鳥、この国にては、山路は申に及ばず。仮初めの宿の梢、幹の松が枝までも、耳喧しき程なるが、この社にては、更に鳴く事無し。これは如何にと尋ねしに、宮人申やう、是は古、為兼の卿の御配処也。或る時、時鳥の鳴くを聞き給て、鳴けば聞く、聞けば都の、恋しきに、此の里過ぎよ、山時鳥、と詠ませ給しより、音を停めて、更に鳴く事なしと申。実にや、花に啼く鶯、水に棲む蛙迄、歌を詠む事実なれば、時鳥も、同じ鳥類にて、などか心の無かるべきと覚えたり。
上歌う〽 落花浄く降りて、郭公初めて鳴き、明月秋を送りては、松下に雪を見ると、古き詩にも見えたれば、折を得たりや、時の鳥、都鳥にも聞くなれば、声も懐かし時鳥、唯鳴けや、〳〵、老の身、我にも故郷を泣くものを、〳〵。

 

〔口訳〕さて西の方を眺めると、入海の白波は、白砂の上に雪の如くに砕け覆うて、一面に白妙の色に見えてゐる中に、松林が一簇見えてゐて、まことに春二月の景色とも言へさうな景色である。この松林の中に一宇の小堂がある。八幡宮を勧請した霊社である。それでその所をも八幡と称して居る。敬神の為に参詣したところ、ここに不思議な事がある。都に於ては、鳴く音を待ちに待つて聞きはやす時鳥が、此の佐渡の国では、山路は言ふに及ばず、仮初の我が宿の梢、松樹の枝にまでも、耳喧しく感じるほどに鳴くのだが、此の社では全く鳴くことがない。これはどうした事だらうと尋ねた処、社人が答へるには、ここは昔、為兼卿の御配処であつた所である。或時、時鳥の鳴くのを御聞きになつて、「鳴けば聞く聞けば都の恋しきに、此里すぎよ山時鳥」と御詠み遊ばして以来は、鳴く音をとめて、全く鳴かなくなつてしまつた、といふ。誠に、花に啼く鶯や水にすむ蛙までも、歌をよむといふ事は真実であるのだから、時鳥も同じ鳥類として、どうして心のない事があらうかと感じた事であつた。「落花きよく降りて、郭公はじめて鳴き、明月秋を送りては、松下に雪を見る」と、古い詩にも見えて居るから、この時鳥もまことに折を得て鳴くものといふべきである。都鳥に対してさへも、昔人は都の事を聞いたといふのだから、時鳥よ、そなたの声もなつかしい。たゞ鳴きに鳴くがよい。老の身の自分にも、故郷を思つて泣いて居るのだから。

 

このコンテンツは国立国会図書館デジタルコレクションにおいて「インターネット公開(保護期間満了)」の記載のある書物により作成されています。
商用・非商用問わず、どなたでも自由にご利用いただけます。
当方へのご連絡も必要ありません。
コンテンツの取り扱いについては、国立国会図書館デジタルコレクションにおいて「インターネット公開(保護期間満了)」の記載のある書物の利用規約に準じます。
詳しくは、国立国会図書館のホームページをご覧ください。
国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載