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北山

只こと〽 かくて、古き人に逢いて、当国の神秘、結界、尋ねおくりなり。
上う〽 抑、我が朝、秋津洲と申は、粟散辺土の小国なりと申ども、天地開闢の国にして、天照大神の御末、正しく日統を戴く事、今に絶えせず。
さし事〽 然れば、国の名を問へば、神道に於て、様々也。先づ、大日本国にとは、青海原の海底に、大日の金文現はれ給しより、後代に、名附し国とかや。しばらく、これを惟んみれば、其の品々も一ならぬ、八島の浪の寄々に、粗々語り申べし。
曲舞〽 其の初めを惟んみれば、天祖の御譲り、天の浮橋より、光差し下す、矛まの国の、淡路を初めとして、彼れは南海、此れは北海の佐渡の島、胎金両部を具へて、南北に浮む。海上の四涯を護る、七葉の金の蓮の上よりも、浮み出で立つ国として、神の父母とも、此の両島を云とかや。されば、北野の御製にも、彼の海に、金の島の、有るなるを、その名と問へば、佐渡と云也。この御神詠も、あらたにて、妙なる国の名も久し。
上う〽 然れば、伊奘諾、伊奘冊の、その神の代の、今殊に、御影を分て、伊奘諾は、熊野の権現と現はれ、南山の雲に種蒔て、国家を治め給へば、伊奘冊は、白山権現と示現し、北海に種を収めつゝ、菩提涅槃の月影、此の佐渡の国や、北山、毎月毎日の影向も、今に絶せねば、国土豊かに、民厚き、雪?の白山も、伊奘冊も、治まる佐渡の海とかや。
下〽 抑、斯ゝる霊国、仮初ながら、身を置くも、何時の他生の縁ならん。よ?しや、我?雲水の住に任せて、その儘に、衆生諸仏も、相犯さず、山は自から高く、海は自から深し。かゝ語?り尽す、山雲海月の心、あら面白や、佐渡の海、満目青山、猶自から、その名を問へば、佐渡といふ、金の島ぞ、妙なる。

 

〔口訳〕かくの如くして、此土地の古老に会つて、当国佐渡の神秘結界を尋ねて記して置くのである。
一体、我が朝秋津洲と申す国は、粟散辺土の小国だとは申すけれども、天地開闢の国であつて、天照大神の御神裔が、正しく日統を御継ぎ遊ばされる事は、今も絶える事のない国である。それで、この国の名称を尋ねて見ると、神道に於て様々の名が呼ばれてゐる。先づ、大日本国といふは、青海原の海底に、大日といふ黄金の文字が現はれ給うたことから、後代になつて、かやうな国名を附けたとかいふことである。暫くこれを考へて見るに、そのしなじなも数多いことであるから、あれこれに関して、大略のところを語ることにしよう。
この国の初を考へて見ると、天祖の御譲りであつて、天の浮橋の上から、差し下し給ふ瓊矛の滴りに成つた淡路の国をはじめとして、それは南海に、この佐渡の島は北海にあつて、胎蔵・金剛の両部を具へて、南北の海上に浮んでゐるのである。そして海上の四方の涯までを守り、七葉の黄金の蓮の上から浮み出てゐる国として、此の両島を、神の父母とも呼ぶとかいふ事である。それで北野天満宮の御歌にも、「かの海にがねの島のあるなるを、その名ととヘば佐渡といふなり」とよまれて居り、この御神詠もあらたかで、其の妙なる国の名は久しく知られてゐる所である。さて、その神代の伊奘諾・伊奘冊の二柱の神は、今は別々に御垂跡遊ばされて、伊奘諾は熊野の権現とあらはれ、南山の雲に種を蒔いて国家を治められ、伊奘冊は白山権現とあらはれ給うて、北海に種を収められながら、菩提涅槃の月影として、此の佐渡の国即ち北山に、毎月毎日御影向になり、今に絶える事がないので、国土は豊かで民も敦厚であり、雪の白山も伊奘冊も、共にこの佐渡の海におさまり給ふとかいふことである。一体かやうなあらたかな国に、仮初ながら我が身を置く事も、どうした他生の縁によつたものであらうか。ああ善き哉、自分如き雲水の身も、住むにまかせて住ましめておき、そのままで衆生諸仏も相犯すこともなく、山は自づからにして高く、海は自づからにして深くたたへてゐる。「語り尽す山雲海月の心」といふ言葉の如く、まことに面白いのは佐渡の海で、満目青山また自づからなるよそほひを示す。その名を問へば佐渡といふ、この黄金の島は妙なる所である。

 

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