まえがき
十社
只ことば〽 かくて、国に戦起りて、国中穏やかならず。配処も、合戦の巷に成りしかば、在所を易て、今の、泉といふ所に宿す。さる程に、秋去り冬暮れて、永享七年の春にもなりぬ。爰は、当国、十社の神坐します。敬神の為に、一曲を法楽す。 さしこと〽 それ人は天下の神物たり。宜禰が習はしに因りて、威光を増し、五衰の眠りを、無上正覚の月に醒まし、衆生等も、息災延命と、護らせ給御誓、実に有難き御蔭哉。神の任に〳〵詣で来て、歩みを運ぶ、宮廻り、実にや和光同塵は、〳〵、結縁の御初め、八相成道は、利物の終りなるべし。やまちと秋津洲の中こそ、御代の光や、玉垣の、国豊にて、きう豊?年を楽む、民の時代とて、実に九の春久に、十の社は曇り無や、〳〵。
〔口訳〕かくて居る中に、国に戦が始まつて、佐渡一国はさわがしくなり、自分の配処の新保も合戦の巷となつたので、住所をかへて、今いつた泉といふ所に宿する事となつた。その中に秋も過ぎ冬も暮れて、永享七年の春にもなつた。此の地には当国の十社の神がまします。敬神の為に一曲を法楽し奉つた。 一体、一人間といふものは、天が下の神様のものである。神といふものは、お仕へする神官の鄭重な奉仕によつて威光を増し給ふものであり、神の五衰の睡りは、仏法の無上正覚の悟りによつてさまされるものであり、衆生等も息災延命であるやうにと、御守護下さる御誓願は、まことに有難い御めぐみと申すべきである。神の導き給ふままに御参りをし、御宮廻りの歩みを運ぶことである。まことに和光同塵は結縁の御初めであり、八相成道は利物の終であるのだらう。大倭秋津島の国の中は、聖代の御恵みや神の御恵みによつて、国土は豊かで、民は豊年を楽しむといふ御代であるので、九旬の春は久しく、十の社の御威光は曇りもないことである。
底本:国立国会図書館デジタルコレクション『世阿弥十六部集評釈 下巻』能勢朝次 著