〔口訳〕一体に、世の中がよく治まつて居る聖代の歌謡は、民心が安らかで且つ楽しんでゐる心があらはれるものである。これ実に、其の政事が穏和に行はれて居ることに依るのである。従つて歌は、天地を動かし鬼神を感ぜしめるものだと言はれるのである。「きさらぎの
初申なれや春日山、峰とよむまでいただきまつる」と詠じた歌は、まことに由緒深い神祭りの道を詠じた歌であるとかいふことである。又「きさらぎや雪間を分けし春日野に置く霜月も神祭るなり」と詠まれた霜月の神祭が今も絶える事なく行はれるのは、国土安楽を御守護下さる神慮によるものである。それで、毎年二月の第二日に、此の宮寺へ参勤して、翁の歌を謡ふ法楽も、さぞかし御納受下さる事であらう。かやうなわけで、興福寺の西金堂と東金堂との両堂の御法会にも、先づ遊楽の舞歌を整へて、御代の万歳を祈り奉り、国土豊かに民も裕福な新春を迎へて、年を積むのであつて、薪の御神事と申すのも、これをいふのである。それで北野の天満天神の御願文にも、「名は大唐に聞へ、
会は興福に留まる」と、あらたかに仰せられ、興福寺の十二大会の最初に当つても、この遊楽を奏する事の、当代の今に至るまで絶える事のないのは、眼前にあらたかな神道の尊さであつて、行末も幾久しくさかえることであらう。
これを見ん、のこすこがねの島ちどり、跡もくちせぬ世々のしるしに。(書き残す所のこの謡は、佐渡の流人の筆の跡として、後世までも朽ちないしるしとして、人々は見ることであらう)
永享八年二月日沙弥 善芳